日本一のおもてなし、サウジアラビア全権大使、
いよいよ、翌日の予定である多喜浜小学校での授業です。
前の日は、西町太鼓台の出迎えに、大使も非常に感動し、また、10月には来たいとおっしゃっていただけに、この日の、小学校訪問はどうだろうと思っていたのですが、
学校の入り口で、もうそんな心配は、吹き飛んでしまいました。
子供達の、笑顔、笑顔、笑顔、、、、、。
大使は、よほど、子供が好きなのか、一生懸命、一人ひとりに微笑みかけていました。
そして、教室に入ると、まず、お茶の接待、
6年生の子供達が、お運びをしてくれます。
そして、いよいよ授業の始まり、
子供達の顔は、トルキスターニ大使を食い入るように見つめ、
その瞳は、輝いていました。きっと外国からの訪問者が、授業をするのは初めてではなかったのでしょうか?!
子供達に、問いかけながら、
その内容は、「両親への感謝の気持ち」を、教えていたように思える授業でした。
すばらしかったです。
この、学校での子供達とのふれあいが、大使の心に深く刻まれたことは、言うまでもありません。
後日談では、「いままでに、日本のいろんなところへお邪魔しましたが、今回が、最高でした。」と大使に言わしめたのは、
この、多喜浜小学校での、みなさんの「おもてなし」の心ではなかったでしょうか!!
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コメント
お疲れ様でした。心のこもったお接待であることがよくわかりました。
昭和時代、石油ショックがありました。日本は石油が手に入らず、四苦八苦しました。
そこに救いの手をさしのべたのがサウジアラビアでした。サウジアラビアのヤマニ石油相が大の日本贔屓で石油を日本に売ってくれたのです。
ヤマニ氏が日本贔屓なのはちゃんとした理由がありました。
石油ショックの数年前、同じく石油相として日本を訪れたヤマニ氏を待っていたのは、日本政府の冷たいあしらいでした。外務省も通産省も資源国ではあるけれどまだ後進国であるサウジアラビアの大臣に対して、「また来たのかよう。飯でも食わせて追い返せ」と言わんがばかりの応対しかしなかったそうです。
傷ついたヤマニ氏は皇室のもてなしを受け、心癒されました。皇室は決して豪華ではありませんが、心のこもったおもてなしをするところです。
昭和天皇がミッキーマウスの腕時計をしておられたのは有名な話です。飾らないお人柄がヤマニ氏を強く引き付けたのだと思います。
日本に好印象を抱いたヤマニ氏は、その後の石油ショックでその気持ちを返してくれました。
今回、白石さんがトルキスターニ大使に対してなされたことは誠に偉大なことであると思います。
これからもよろしくお願いいたします。
投稿: 洙田靖夫 | 2013年7月 7日 (日) 13時52分