別子山村合併10周年
平成の大合併が進められたころには、新居浜市としての方向性は3市2町(新居浜市、西条市、東予市、小松町、丹原町)でした。
しかし、県から当初提示があったのは、「新居浜市はどことも合併する必要はない」と合併案には記されていました。
当時、総務委員会に所属していた私は、真っ向から反対し、結果的には修正案で、発表ということになりました。
すでに、宇摩地域の合併協議会に参画していた別子山村に、どのようにして新居浜のほうに向いてもらうかが、大きな課題でした。
数人の有志が、別子山へおもむきました。
別子山のみなさんにとって
それまで、生活やインフラの面でも利便性の高い伊予三島との合併を選ぶか、
歴史的なつながりの深い、また人間関係も多くある新居浜との合併を選ぶか、
まさに苦渋の選択を迫られたのではないでしょうか?!
それでも、新居浜との合併を選択していただきました。
新居浜にすれば、これまでの市の発展の源流である別子山ですから、このうえない喜びであると思います。
和田村長が新居浜市役所に、合併の申し出に来られたときには、私は涙がでました。
その上、合併特例債を117億、合併準備金を25億ほどいただけたと思います。
新居浜市の事業推進にかなり寄与してもらってるわけです。
しかも、これからの新居浜の更なる発展の鍵は、別子にあるような予感がしてなりません。
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