母に思う
昭和56年8月、母の「新居浜に帰ってほしい、、、!」という電話で、
それまで、父から何度も、同様に頼まれても、拒んでいた私は、「わかった、すぐ帰るわね!!」と、母には二つ返事で答えて、新居浜に帰ってきました。
病の床にあった父のかわりに会社を何とかしなければならない、
父も、仕事の受注が半年間皆無で、そのことによる心労が原因だったのではないかと、当時から思っていました。
帰郷した私は、母と一生懸命、会社の立て直しに奔走したものでした。
平成9年、突然母が倒れ、病院へ担ぎ込まれた時、私は、神様にお願いをしました、「神様、私はタバコを止めますから、母を助けてください。」
その言葉の通り、その年の11月18日(母が病院に運び込まれた日)から、一本もタバコはすっていません。
私の人生の大きな転機(他にも結婚etc)が何回かあるとしたら、そのうちの二つは、母によって変えられました。
しかも、どちらも私の人生には大きくプラスになっているのです。
その母を、黄泉への旅に送り出すこととなりました。
先週の土曜日の私を囲む会が無事終わるのを待ちかねたように、唐突に逝ってしまいました。
母の人生は母にとって、どうだったのだろうか?
もっと、母と話しておけばよかったということを思いつつ、、、。
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コメント
かなしみはいつも・・・坂村真民
かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛(たた)えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
投稿: ごんた | 2013年3月17日 (日) 14時22分
かなしみはいつも・・・坂村真民
かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛(たた)えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
投稿: ごんた | 2013年3月17日 (日) 14時24分