意思の持続
常に高い意識を持って、事に取り組んでゆかなければならない!!そう自分に言い聞かせながら毎日が過ぎてゆきます。
しかし、なかなか、その意識を持続させることがむつかしくて、どうしたらいいんだろう?と悩むことも多いものです。
私はこれまでの人生で、信念を貫くことを心がけ、他人に嘘を言ったり、自分の言葉をひるがえすことは、自分の恥だと信じ、歩んできたつもりであります。
当然、真実のみを話すことが、さらなる不幸を招く場合には、言葉を選ぶことは、わきまえているつもりです。
ただ、最近の政治を見ていると、言葉をひるがえし、その場その場を切り抜けてゆけば、いずれ、そのことは、誰も追求しなくなる
場当たり的な場面を多く見かけます
そして、本当にそれでいいのか?ちがうだろう!!と、、、、。
それでも、なにくわぬ顔で、しゃーしゃーとしゃべる政治家の姿は、悪寒さえ感じます。
先日の沖縄返還40周年式典に、沖縄を訪問した鳩山元総理を見ていて、そう思いました。
あの時の、鳩山氏を見て、嘲笑というより、なんかわからない怒りが込み上げてきたのです。
菅元総理が、総理退任後に四国88か所を、SP同行で行脚していたときの姿を見たときも、何とも言えない怒りが込み上げてきたのです。
政治には「うそ」はつきものとも言います。しかし、、、、、。
今の政治家は、あまりにもひどすぎはしないかと思うのです。
自分の保身からなのでしょうか?政治家としての責任の取り方というものは、あの程度でよかったのでしょうか、、、。
今の政治家で「命」をかけて政治に取り組んでいる人、もしくはこれから取り組んで行ける人は、どのくらいいるのでしょうか?
政治というよりも政治家の資質が問われなければならないと思います。
政党といっても、意識の集合体ではなく、利益共有の烏合の衆になりさがっているのではないでしょうか
今更のように、自分のしっかりとした意思を、意識を、持ち続けなければ!!と思うのです。
そして、真に意識の共有できる仲間と、共に国づくりを、「命」をかけてすすめてゆくような、時代をつくらなければならないと、強く思います。
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