被災地を行く~弔う
28日は、仙台を朝6時に出発、
道路が混むと聞いていたので、少し早めに出発したのですが、石巻の手前からは、すでに結構、混んでました。
最初の目的地は、女川町、照源寺。
友人の佐藤 充くんの葬儀がとりおこなわれた寺です。4月の後半に、ようやく遺体が見つかった後、5月5日に葬儀がとりおこなわれました。
入院中だった私は、出席がかなわず、いつか、そのお寺にお参りをしようと思っていたのです。
(照源寺本堂前にて)
遺骨も、位牌も、もう置いてはいないだろうと思いつつ、
早朝ではありましたが、「四国の愛媛県から来たのですが、佐藤充くんのご位牌か、遺骨を預かっておられませんでしょうか?」と、お寺の方に尋ねました。
(照源寺山門にて)
遺骨だけ、預かっていただいてたのです。案内されるままに、遺骨を置いているところへ、
そこには、たくさんの遺骨が置かれていました。
ようやく見つかった遺骨に手を合わせながら、涙が止まりませんでした。
わかっては、いました。彼の死を納得した上での再会だったはずですが、
小さくなった彼に、、、
なんともいえない、悔しさとも、悲しさともいえない思いが、、、、、。
(女川町)
「愛媛県の新居浜からなんですけど、今日も新居浜から大勢、炊き出しのボランティアに来てるんですよ。」と言うと、
「あ!この前も来てくれてましたね!!」と、すかさず返事をいただきました。やっぱり覚えていただいていると嬉しいものです。
百カ日の法要のお供えを、お寺にことずけて、いざ町内へ。
その後、町を視察させていただきました。まさに「まち」ごと無くなってしまったというような状況です。見渡す限り、瓦礫と家の基礎だけ、
コンクリートの建物でさえ津波に流されて、転がっています。
この町が、どのようすれば再生できるのか?呆然と見つめることしかできません。
最後に高台の病院から町に向かって、もう一度、手を合わせてから、女川町をあとにしたのです。
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