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2011年5月31日 (火)

被災地を行く~出会い

女川からの帰り道、「佐藤水産」の看板と、ちっちゃなプレハブの事務所を見つけたので、たずねてゆきました。

佐藤くんの従兄弟の奥さんという人が留守番をされていました。私のことも、旦那さんや佐藤君から聞かされた事があると言ってました。

しばらく話して、いざ、石巻へ、

ボランティアのメンバーのみなさんと出会うためにインター近くのイオンへ

その前に、港の近くの工業団地へ、

かなりの悪臭ですし、水産加工の工場群は壊滅状態でした。これはひどい!!

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(ボランティアのメンバーとイオン前にて)

電話で連絡を取り合いながら、11時には、石巻江南インター(女川へは、ここで高速を降りるのですが)にあるイオンということで、そこへ、、、。

会えました!!

2回目の人、今回初めての人、

疲れているはずなのに、そんなそぶりは、みじんも見せず、笑顔のみなさん。

なんか、新居浜のみなさんに会えただけで、涙が出るほど、嬉しくて、、、。

一緒に行けない自分が、なんとなく恥ずかしくて、「頑張ってください!!」と一言いって、皆さんとは別れました。

今回の視察は、現地の復旧復興に直接携わる人たちと話ができたこと、

また、被災地でも、それぞれの被災の内容に違いがあり、

たとえば、穀倉地帯であれば、塩害と災害ごみに覆われた水田の復旧をどのようにするのか?!

石巻のように、水産関係の工場、倉庫郡が壊滅した地域では、どのような具体的支援が可能なのか、

さらには、女川町のように、「まち」がほとんど壊滅しているところは、どのような復興が、、、。

復旧でゆけるところ、再生できるところ、新たに構築しなければならないところ、

その地域によって、対応を考えなければならないということが、よく理解できました。

国も県とともに、現地の状況をしっかりと把握して、地域ごとにあった復興計画を、地域の側と協働して、策定してゆかなければならないのでしょう。

東北全体の復興ビジョンを早急に打ち出し、短期間で、国、県、市町、住民のみなさん、それぞれの役割を、しっかりと議論したうえでの、

復興を望みます。

今、私自身が復興計画の策定の中に、身をおきたい気持ちで一杯です。しかし、私が今やるべきことは、

私ができる、支援のかたちを、可能なかぎり続けることなのですね。

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2011年5月30日 (月)

被災地を行く~弔う

28日は、仙台を朝6時に出発、

道路が混むと聞いていたので、少し早めに出発したのですが、石巻の手前からは、すでに結構、混んでました。

最初の目的地は、女川町、照源寺。

友人の佐藤 充くんの葬儀がとりおこなわれた寺です。4月の後半に、ようやく遺体が見つかった後、5月5日に葬儀がとりおこなわれました。

入院中だった私は、出席がかなわず、いつか、そのお寺にお参りをしようと思っていたのです。

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(照源寺本堂前にて)

遺骨も、位牌も、もう置いてはいないだろうと思いつつ、

早朝ではありましたが、「四国の愛媛県から来たのですが、佐藤充くんのご位牌か、遺骨を預かっておられませんでしょうか?」と、お寺の方に尋ねました。

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(照源寺山門にて)

遺骨だけ、預かっていただいてたのです。案内されるままに、遺骨を置いているところへ、

そこには、たくさんの遺骨が置かれていました。

ようやく見つかった遺骨に手を合わせながら、涙が止まりませんでした。

わかっては、いました。彼の死を納得した上での再会だったはずですが、

小さくなった彼に、、、

なんともいえない、悔しさとも、悲しさともいえない思いが、、、、、。

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(女川町)

「愛媛県の新居浜からなんですけど、今日も新居浜から大勢、炊き出しのボランティアに来てるんですよ。」と言うと、

「あ!この前も来てくれてましたね!!」と、すかさず返事をいただきました。やっぱり覚えていただいていると嬉しいものです。

百カ日の法要のお供えを、お寺にことずけて、いざ町内へ。

その後、町を視察させていただきました。まさに「まち」ごと無くなってしまったというような状況です。見渡す限り、瓦礫と家の基礎だけ、

コンクリートの建物でさえ津波に流されて、転がっています。

この町が、どのようすれば再生できるのか?呆然と見つめることしかできません。

最後に高台の病院から町に向かって、もう一度、手を合わせてから、女川町をあとにしたのです。

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2011年5月29日 (日)

被災地を行く

昨日、愛媛に帰ってきました。木曜の夜遅くに、仙台に入って、わずか二日間ではありますが、中身の濃い旅程となったと思います。

26日、20:00頃を目標に、駅のホームで荒川氏(私の大学時代からの友人)と待ち合わせ、

二人で動くのは、久しぶりなので、懐かしさと、嬉しさ、そして、どんな出会いが現地で得られるか期待感も、、、。

まずは、鹿島建設東北支店にいらっしゃる先輩を訪問、

ゼネコンとしての震災復興への取り組みというより、今後の復興、都市再生まちづくりの考え方などを伺うことができてよかったです。

その後、宮城県庁へ、

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(県庁前で荒川さんと)

県庁では、震災復興・企画部 震災復興政策課を訪問、まだまだ、復興計画などは、これからなのでしょうが、現状はおおむねうかがうことができました。

また、計画が作成された頃、再度お邪魔することとし、失礼しました。

感心したのは、震災対応は2Fワンフロアーで、復興企画は6Fワンフロアーすべてを使って、

つまり、人員を投入して、対応しているところです。特に災害企画部は各部署から精鋭が集められているようでした。

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(国交省 東北整備局 東北技術事務所で)

その後、国交省の技術事務所を訪問、今回の震災に関連して、技術的な取り組みについてのミーティングをさせていただきました。

多賀城市にある、その事務所も、一階は完全に浸水したそうでした。

ミーティングでは、災害による瓦礫処理もさることながら、海水につかった農地をどう再生するかも解決できていないようです。

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さっそく、仙台の隣、名取市や岩沼の、いわゆる仙台平野の穀倉地帯へ、

まだ、田んぼの中に、船がいっぱいころがっていました。

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海砂が覆いかぶさったような水田、

国交省でいただいた、技術的な課題なども、今後、私なりに取り組んでゆきたいと思います。

その後、大学の後輩(新居浜出身)が、現在は東京なのですが、以前長く仙台に居たということで、わざわざ仙台まで駆けつけてくれ、一緒に、地元の会社などを訪問、

夜は、早稲田大学の土木の先輩後輩で懇談、

全早稲田で、東北支援の決起を行おう!!などという大きな話に、花が咲きました。

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2011年5月28日 (土)

出会いを得て~女川へ

仙台の一日は、私の人生にとって、かけがえのない一日となったと思います。

多くの出会いを得ました。私の、東北復興の考え方に共感をもっていただく同志を得ました。

人と人のつながりの妙をみました。

今日は、いよいよ女川です。

まず最初に、佐藤くんの弔いをおこなった寺にお参りにゆくことが、今回のもう一つの使命でした。

その後、新居浜を出発したボランティア本体に、

女川か、石巻か、

どこかで、出会うつもりです。

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2011年5月26日 (木)

第二回災害救援ボランティア

2回目の、被災地での支援ボランティアの準備が、おおむねできました。

残念なのが、今回も、私は参加できそうもありません。もう少しで完治できると思いますが、その時は、是非、、、。

ボランティアのみなさんも、前回以上に、参加していただけそうです。現在のところ22名、

27日16:00出発、車中泊

28日前回とおなじ、女川町へ、炊き出しボランティア、気仙沼の民家で雑魚寝となります。

29日気仙沼にて、炊き出しボランティア&泥かきボランティア、気仙沼にて前日同様、宿泊

30日気仙沼にて、終日ボランティア活動、夕刻出発、

31日新居浜到着

という、今回も強硬軍ですが、

前回に引き続き、料飲組合の、森本さんや諏訪さんの参加や、クックチャムからも、前回同様、保冷車と7人もの参加をいただきます。

2度目の人は、女川の人たちにまた会えることを、楽しみにしていました。

また、気仙沼では前回、支援物資を贈ったところの、NPOの皆さんにも現地で会うことができそうです。

今回の成果が、また、次の活動につながるようなものに、なることを期待しております。

また、今回は現地で活動をしながら、この夏、新居浜で開催される「高校生笑い日本一決定戦、笑顔甲子園」のイベントに参加してもらえる高校を、被災地で探すことも、期待しています。

また、夏休みには、高校生対象のボランティアツアーも企画したいですね!!

若い人に、是非とも現地でのボランティアを経験してもらいたいものです。

あと、6月4日には、ボランティア報告会を開催します。新居浜のみなさんにも、可能な支援についての意見交換の場を提供し、

市民のみなさんに、この絆が広がってゆくことを願います。

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2011年5月25日 (水)

明日は仙台

明日は、仙台へ乗り込もうと思っています。実際に、現地の建設業者の方たちとのミーティングで、今後の復旧、復興のなかで、企業として、どの程度、参加協力できるか模索してみるつもりです。

とりあえず、愛媛の私たちができることは、復興が始まるまでの、現地企業の雇用を支えてあげることかなと、

現地企業に対して、雇用の案内を出しています。

当然、復旧、復興で忙しくなれば、その人材は、現地企業にお返しするという前提です。

雇用されるがわにとっても、帰る企業があるという状況で、期間を限定しての、よその土地への出稼ぎなら不安も少ないのではないでしょうか?!

そして、復興の時には、逆に、人手不足を、われわれで補ってあげるような、タイアップができないかどうか?

それも、企業としての、りっぱな復興支援だと思うのです。

そのために、現地建設業界の現状と、今後の状況を調べてきます。

ボランティアの支援のときもそうだったですが、今回も、現地の企業の生の声は、またちがったもであるかもしれません。

震災を契機に、中小企業だからできる、協力体制みたいなものを、作り上げ、愛媛の業界のプラスになれば幸いです。

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2011年5月24日 (火)

上を向いて、、。

昨日、韓国での打ち合わせを午前中で済ませ、即効で日本へ、

今回の、ミーティングは時間的には短かったものの、中身の濃い議論ができたと思います。

やはり、直に顔をあわせて、語ることで、意思の疎通がはかれますね。

夕刻、日本へ戻ると、結構な土砂降り、

まだ、足の包帯が取れていない私は、スラックスにサンダルといういでたちなので、雨の町には不似合い、(そうでなくとも、変なおじさんになっていますが、、。)

関空に着いて、すぐ打ち合わせと思っていたのですが、若干、気が進まないのは、外に出たくない、その足元のサンダルに理由があったのです。

相手先に電話すると、気を使って、なんばの駅で待ち合わせをしてくれた上に、食事までご馳走になり、その上、新大阪まで送ってくださいました。

その方には、日頃からさまざまな、アドバイスをいただいておりまして、

久しぶりに、示唆にとんだ話を伺えました。

帰路の車の中、その方が言った、「下を向いても、小銭しか落ちて無いやらろ。上を向いて歩かな!!」

「白石くん、祭りやがな、神輿、担ぐのにいくら重とうても、下向いて担いでる人はおれへんがな、みいんな、上向いて一生懸命、担ついでるがな、、、。」

「あんたが、上向いて歩いていたら、みんな、集まってきよる。祭りや!!」

すごく、励まされ、

新居浜まで帰る電車の中、その言葉が、何度も、何度も、脳裏をよぎってゆくのでした。

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2011年5月23日 (月)

がんばろう!!日本

昨日、夜遅くに、韓国イーチョン空港に到着、今回は、月曜、早朝から、ミーティングに出かけ、昼には帰国の途に着くという強行軍

松山空港で出発前に知人に偶然出会いました。県会議員をしている彼も急遽訪韓しなければ、ならなくなったとのこと、

月曜、火曜と、20人ほどの採用面接をする予定だと話してました。

頑張ってますねえ!!

イーチョン空港に到着して、足早に通関へ向かっていると、私のほうをチラチラ見ながら、すぐ斜め前を歩く男性、

おもむろに「県会議員の白石さんですね!?」と声をかけられました。

「今は、やってないですけど、以前はそうです。」と答えると、

「やっぱり、」とひとなつっこそうに、「わたし**に勤めてまして、こんなところでなんですけど、、、、。」といって、名詞を交換させていただきました。

新居浜市出身のその人は、もう韓国が長く、どちらかというと、たまに日本に帰っているような感じだそうでした。

ただ、新居浜の祭り(10月16日~18日)は、特別休暇を取ってでも、必ず郷里、新居浜に帰るのだそうです。

そんな話をしながら、通関のところへ、

そのとき韓国での名詞もいただき、「是非、またソウルで会いましょう、白石さんがんばってくださいね!!」と、、、。

そして、その人はコウリャンパス、つまり韓国人の人の通関のほうへ行かれました。

名詞を良く見ると、韓国企業の社長をしておられる方だったのです。

頑張る日本人二人と、偶然あえたのも、

私にもっと、頑張んなさいという暗示かなあ!?などと思いながら書き綴る、今日この頃ろであります。

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2011年5月22日 (日)

今こそ地域貢献

東日本大震災から、遠くの地域も、そうでなくとも、何かをしたい!!

そんな思いの連鎖が、つながってゆこうとしています。

これまでは、NPOやボランティアの組織が、全国的に連携することは、時間とその労力が大変で、

しかも、それぞれの団体が多様で、つながるためのテーマが、難しかったわけですが、

その状況から、一変して、全国的な連携が、実に簡単にできるようになって来ました。

当然、東日本大震災の被災地支援という共通のテーマにもとずく連携なのですが、

私は、これらのNPO、ボランティアの動きこそが、今後の、日本の社会における、新たな価値の創造につながると思うのです。

まだまだ、日本全体の経済状況もままならない、

中小企業者にとって、大変な時代です。

そんな状況下だからこそ、あえて、地域貢献を強力に推進するべきだと考えます。

その地域貢献のスタイルはさまざまです。

人、コミュニティー、企業、、、、。

企業の存続を後押しすることも、地域貢献といえるし、

企業同士が、連携して、新たな取り組みを行うのも、地域貢献の視点で評価してみることもできると思います。

現在の危機的状況にある日本を再生するための、大きなキーワードの一つは、「地域貢献」ではないでしょうか?!

これまでの「地域貢献」と少し違うのは、地域貢献といえば、地元への活動であったわけですが、

これからの地域貢献は、地域を越えた連携と、地域を越えたつながりによる、地域活動というところです。

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2011年5月21日 (土)

ボランティアの笑顔

愛媛大学病院へ検診に行ったついでに、入院中によく行った、タリーズコーヒーへ、、、。

大学病院へ行ったときに、正面玄関でいつも迎えてくれるのは、ボランティアのみなさんです。

「車いす、用意しましょうか?」 「案内しますよ。」とか、

病院を訪れる患者さんに、やさしく声をかけてくださり、サポートしていただいているのです。

受付の近くにも、同様に、

玄関で会ったボランティアの人たちと同じエプロンをした人が、フォローしてくれてました。

病院全体の空気の色は、ボランティアのみなさんが、一生懸命、お世話していただいているおかげで、なんとなく、明るい、温かみのある、色になっているような気がするのです。

話は戻って、タリーズコーヒー、

座ってコーヒーをいただいていると、にこにこした笑顔で、私に会釈してくれる男性が、、。

「あっ!!いつもボランティアで頑張ってる人や。」と思いつつ、よおーく、お顔を見ていると、

「あれー、久しぶりです!!」

そうなんです、よく知ってる人でした。自衛隊のOBで、隊友会のお世話をされている寺岡さん、

病院ボランティアをもう7年されているそうで、「愛媛大学病院ボランティアいきいき会」の代表をされているとのことでした。

また、ボランティアコーディネーターとして、ボランティアに来るみなさんの指導なども寺岡さんがされているそうでした。

病院に来る人のフォローだけかと思っていたら、入院患者の話し相手や、さまざまな、ボランティアメニューを提供しているそうです。

印象的だったのが、いっしょにいた中川さんという方がおっしゃってた、

心臓病で大学病院にお世話になって、退院してからも、あまり外へはでなかったのだけど、寺岡さんに強引に誘われて、少しずつ活動に参加したそうです。

今では、このボランティアが生きがいで、身体も随分元気になったと、万遍の笑顔で語ってくれました。

ボランティアをさせていただけるのは有り難い、と話してました。

そんな、話をしている間も、何人ものボランティアの方が、「お疲れさんでしたーー!」と笑顔で挨拶にこられます。

病院の空気を「ぬくもり色」に変えているのは、やはりボランティアのみなさんの頑張ってる姿と、この笑顔ですね。

寺岡さん、中川さん、頑張ってください!!

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2011年5月19日 (木)

震災支援ボランティア第二段

当選間もない、大石市議、永易市議が事務所にやってきました。「今度は、泥除けボランティアに行きましょうよ!!」

元気のいい、二人の言葉に、

相変わらずの、すがすがしさを感じます。「よし、やろう!!」二つ返事で応えて、早速打ち合わせにはいりました。

新居浜災害支援ボランティアネットワークの再始動です。

東関東大震災の災害支援ボランティアの第二段は、前回同様の炊き出しボランティアと泥除けボランティアの両方を、それと、今後の継続的なボランティア活動の模索もしておかなければなりません。

一回目は、20人で宮城県女川町の避難所3箇所での、「新居のいも炊き」炊き出しボランティアでした。

しかも、行く道で、石巻へ支援物資も届けました。

今回は、炊き出しボランティアと、泥除けボランティアです。

今のところ、計画では27日夕刻出発、バス車中泊で、28日29日30日と作業して、30日バス車中泊で、31日に帰ってくるという強行軍です。

28日、29日は現地での宿泊になりますので、その段取りもしなければ、なりません。

行き先を決定できていませんが、候補地として(1)前回同様、女川町、(2)釜石市、これは新居浜市役所が支援に行っているところなので、(3)その他のところ、

というような、選択肢です。現地の情報を再度収集してから、決定をしたいと思っています。

また、今後の継続的なボランティアの支援ができる準備もあわせて今回しておこうと思ってますので、

現地のボランティアセンターとの情報交換は重要です。

この、一週間で、ボランティアの募集から、現地の段取りまでできるかどうか、少し不安ですが、

若い二人が、先頭に立って、段取りをしてくれますので、心強いものです。

打ち合わせをしながらも、頭に浮かぶのは、前回のボランティア活動に参加してくれた人たちの顔でした。

どの顔も、「また、行きますよ!!」と語りかけてくれています。

今回、目標総勢30人!!

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2011年5月18日 (水)

物産協会総会

物産協会の総会が行われました。冒頭、会長としての挨拶、

年々、イベントへの参加も増え、また、物産協会主催の取り組みも増えてきました。

地域ブランドとか、B級グルメでまちづくり、とか、いろんな地域でさまざまな取り組みが行われていますが、

物産協会の会長を務めながら、私が確信できたのは、まずは、粘り強く続けるということですね、

あたりまえのことではあるのですが、その企画で物産が売れなかったからといって、翌年からは参加しないというのでは、なにも残らないということを、年数をかさねながら分かってこれたということです。

粘り強く続けてみると、少しづつではありますが、「去年も来てたよねえ、」という声と、わずかながらのファンを獲得できるのです。

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今年は、これまで、やりくりしながら準備してきた「バイヤーズガイド」製作の資金をつかい、新たに、「新居浜観光ガイド」的なバイヤーズガイドを作ることとしています。

物産協会会員のみなさんの、情報を、ど~~~んと発信する年にしたいものです。

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懇親会では、先日の東日本大震災の被災地(宮城県女川町)へ、炊き出しボランティアへ行ってくれた、料飲組合のお二人(森本さん、諏訪さん)に体験発表をしていただきました。

物産協会のみなさんにも、たくさんお菓子やら、みかん、その他食材を提供していただき、避難所のみなさんに、ずいぶん喜んでいただいたのです。

体験発表をしながら、涙ぐんで話される諏訪さんに、思わずもらい涙、、、。

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そうかというと、来月出産予定の藤田さんの「出産予定の挨拶」?

その他にも、たくさんの人の挨拶やらがありました。とにかく、なごやかな懇親会でありました。

今年度も物産協会は頑張ります。

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2011年5月17日 (火)

中村知事に期待する

民主党政権が誕生して1年8ヶ月が過ぎようとしています。

多くの国民の、政権交代による新たな政治の期待を背負って、スタートした民主党による政権運営は、その期待をみごとに裏切りました。

施策についての議論は、国会でもなされているのでしょうが、新たな国家のビジョンというものは、今だ、国民に示されていないままではないでしょうか?!

しかも、今回の東日本大震災によって、その復旧復興に目は向けられ、

当然、東北地方の復興ビジョンが論議されているんでしょうが、それも、財源についての話になったり、復旧の話になったり、

論点が定まらないまま、時間がいたずらに経過しているように感じてしまいます。

震災前でさえ、日本は、まだまだ危機的状況を脱しきれていなかったのですから、震災復興と同時に、日本全体の立て直しも図れる施策を作り上げてゆかなければならない時期ではないでしょうか?!

つまり、震災復興ビジョンは、日本の再生ビジョンと連動したものとして、推進されるべきだと思います。

本来は、復興ビジョンについての議論も現地で行うべきで、中央で復興ビジョンを議論することには、いささかの異議もとなえたいところでありますが、それは譲っても、

今回の復興ビジョンの最終段階での議論には、各県知事も参画して、それぞれの地域からの意見も取り入れておくような、場面も必要でしょう。

そのときには、各県知事も、それぞれの地域ビジョンを持った上で議論に参画することが重要だと思うのです。

そのような、ビジョン創りの流れが、いわゆるネットワークでいう、「ミクロ、マクロワープ」ではないでしょうか?!

幸い、我が愛媛県は中村知事が新たに誕生し、まさに、新たな愛媛ビジョンを打ち出してゆこうとする時期だと思います。

中村知事が掲げる「新たな愛媛ビジョン」が、そのまま、日本の再生ビジョンとリンクしていくような期待をもっております。

各市長とタウンミーティングも開催されているようですし、県として、各市、町とのビジョン連動が、そして、県は国とのビジョン連動が果たせるような、

そんな、新たな政策形成の手順をへた「愛媛ビジョン」を中村知事に期待しております。

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2011年5月15日 (日)

慌しい一週間

退院してから、久しぶりにブログを書きます。さぼってて申し訳御座いません。

退院した翌日は、早速上京して、麻生元総理のところへ、

ちょぼヒゲ生やしたままで行ったものですから、開口一番「どうしたんや?おまえ。」と言われてしまいました。

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打ち合わせを終えて、ツウショット!久しぶりでした。麻生元総理を招いての時局講演会は6月26日に決まりました。

その後、経産省や銀行などをあいさつ回りしました。

翌日は早朝に出発して、信州大学医学部へ、どおしても早急にCPC施設を見ておきたかったのと、下平先生にも会いたかったこともありました。

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松本では、東京で「三城」という蕎麦屋さんをやってた人が、郷里(松本)に帰って、同じ名前で蕎麦屋をやっているのを聞いていたので、大学の先生に連れて行ってもらいました。

そこの、お上さんとは6年ぶりの再会です。私が紹介させていただいた今治のタオル業者のおしぼりを義理堅くつかって下さっていたのがありがたかったですねえ。

あたふたと、長野を後にして、東京へ帰ってきて、翌朝、またまた、早朝に出発。

今度は大阪で打ち合わせをし、15:00ごろには、新居浜に帰っていました。

その後も、打ち合わせや、来客で、、、、。

まあ、慌しい一週間でした。

でも、動き回っているほうが、やっぱ楽しいですよね!!

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2011年5月 9日 (月)

なんとか、退院できました

実に、53日間、病院での生活を終え、なんとか退院させていただきました。

身体も無事でいられたのも、ひとえに先生方のおかげであります。

逆に、今回の入院となったのは、私自身の考えが甘かったせいもあります。

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皮膚科の先生、内科の先生、

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そして、看護師のみなさん、ありがとう御座いました。

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もう一度、戻ってこなくてもいいように、気をつけて精進します。

ありがとうございました。

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組織風土としてのボランティア

河川清掃の活動が土曜日実施されました。

年に何回か、会社で河川清掃をやっているアダプトプログラムの一環です。

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会社で、なかば強制的に出席要請をしていた頃もありました。

しかし、今は、みんなが、積極的に出席してもらえるようになってきたと思います。

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最近では、企業のCSRとか、社会貢献活動が盛んになりましたが、

わたしは、その精神としてのボランティアというものが、社員一人一人に根ずいてゆかなければならないと思います。

個人としての地域でのボランティア活動も奨励してきましたし、当然会社でも、積極的に活動に取り組んできました。

先日の東日本大震災の現地への炊き出しボランティアも数人が希望をしてくれて、参加してくれました。

ボランティアに参加してくれた人は、ただの一人も、「**してやった。」とか「**たすけてやった。」とか言う人はいません。

ほとんどの人は、「参加させてもらって有難うございました。」と言ってくれるものです。

絆を感じることの薄くなった現在の社会が、今回の震災で、なにかが大きく変わろうとしています。

わたしは、このような動きこそ、新たな価値を生み出すものと考えます。その価値の基本になるのが、「愛」であり、「夢」であり、「絆」なのではないかと思うのです。

そして、新たな価値が文化を構築します。

つまり、ボランティアの精神が、社会を変革に導く原動力となり、しいては、この国の文化となることでしょう。

わたしが、15年前に提唱した「使命のゆくえ」の中に書き込んだ内容が、現実になるときがきたような予感がします。

私自身の活動として、

さらに、会社の文化として、ボランティア活動がもっと、もっと定着するようにすすめてゆきたいと思います。

会社の中にも、新たな価値を見出すことができる「絆」を体感できるように、、、。

河川清掃に参加したみなさん、ご苦労様でした。

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2011年5月 8日 (日)

一挨一拶

禅宗では、問答によって相手の仏法修行の深さをはかることを「一挨一拶」というそうです。

ずいぶん前のことになりますが、20年ほど前でしょうか、

2~3年は毎年、大洲の如法寺へ座禅の研修に行っていました。やはり、禅問答の時間があって、住職に問われるのです。

「清女離魂」、はいまだに、よく覚えています。

先日、倫理法人会でいただいている、朝の朝礼で使っている「職場の朝礼」に、この、「一挨一拶」がありました。(5月6日のページです)

挨拶とは本来「そばに身をすり寄せて押し合うことこと」であり、「挨」も「拶」も「せまる」「おす」という意味があるそうです。

互いに心を開いて接すること、さらには互いに認め合うことが挨拶であり、

茶道では「一挨一拶」は、精進の基本であるといわれています。

今日は、茶筅を供養に行きます。みなさんと久しぶりにお会いしたら、元気よく挨拶を交わしてきたいと思います。

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2011年5月 7日 (土)

政治家の身の引き方

この数年の、日本のトップリーダー、つまり総理大臣の退任の仕方はどうも理解しがたいものがありますね、

麻生総理は別です。当時の危機的状況の日本経済を立て直すために、しっかりと経済対策を実施してから、解散総選挙ですから、私は支持しています。

麻生総理は、いろんな批判を受け、また、党内でも麻生退任の声も強烈でしたが、

当時の緊急経済対策を非難する人はいませんでした。100年に一度といわれた、リーマンショック後の世界同時不況を、乗り切ってゆくための3段階の補正予算は、

日本経済の底割れを防ぐことはできたわけです。

党内の麻生降ろしは、このままでは選挙に勝てないから「顔」を変え、少しでも選挙を有利に戦うための動きでした。

結果的には、其の動きまで、国民には卑しく見えたのです。

鳩山総理のときの退陣は、参議院選挙に勝つためのものでした。菅総理が就任してすぐは、みごとにその作戦が的中して、民主党の支持率は自民党に対して逆転する勢いでした。

しかし、菅総理の消費税増税発言で一変しました。

私もいまだに、菅総理のその当時の演説で「消費税を上げることで、景気も良くなるのです。」と言ったことは、忘れられません。

現在、財政破綻しているギリシャの政策の道を、日本も歩むのかと、当時嘆かわしく感じました。

まあ、政治の現場で、「**降ろし」というのは、そのままでは選挙に勝てないから、変えようという動きが、通常のようです。

しかし、今回の「菅降ろし」は選挙うんぬんも当然ありはするけれども、ほとんどは菅総理のリーダーシップに対してNOを突きつけたものと理解していますし、

このまま、彼に任せては、日本の先行きが危ういと危惧するから、こそでしょう。

つまり、これまでの総理退陣要求とは違うということです。

これを、菅総理はどう受け止め、自分の引き際をどう演出するのか?

総理本人が答弁で言うように、「自分の責任を全うするために全身全霊をこめて頑張ってゆく、、、、。」というのは、

これまで、何の責任も取らずにきた者が発する言葉ではないと思います。

この一年ほどの間でも、どれほど責任逃れを連発しているのか、自分には自覚がないのでしょうか??

とにかく、最後の引き際だけでも、責任ある政治家、また、日本のトップリーダーとしての姿を見せていただきたいものです。

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2011年5月 6日 (金)

50日が過ぎて

丁度、大震災のあった、3月11日、私は島根県の松江市で、バリアフリーツアーセンターの会に出席していました。

全国から集まって、今後の運営や、その時点での進歩状況を確認していたところへ、震災の報道が飛び込んできたのです。

参加メンバーには、宮城の人も、福島の人もいました。当然、すぐさま帰る段取りをして、引き上げたのです。(実際には、東京で足止めをくって数日間は帰れなかったのですが)

実は、私もその日に、どうも身体の状態が怪しい!調子が思わしくない、と感じ、一緒に行ったメンバーには申し訳なかったのですが、一人で、夜のJRで帰りました。

新居浜までの帰路、身体の大きな振るえと、熱が上がってきているのを何とか抑えようと、必死で熱さましを飲んだ記憶があります。

その後、病院にかかって、50日が過ぎました。

最初、いつまで治るのにかかるのだろうか?とか、身体をどのような状態で保てるのか?心配でした。

過ぎてしまえば、あっという間で、

あれも、これも、時間があるうちにやっておう!などと思っていたことも、ほとんどできず仕舞いです。

しかし、この50日間の生活は、私に新たな教訓と、新たな視点、そして大切にしてゆかなければならないものを教えてくれました。

第一は、食生活のリズムの大切さです。先日も足の傷が治るのための不安要素は?と尋ねると、「暴飲暴食による血糖値の上昇ですね」と言われました。

もうこれからは、身体を第一に考えた食事と、生活のリズムを心がけてゆきたいと思っています。

第二に、車いすの生活の50日で、目の高さの違いによる見え方、また感じ方の違いを、すこし理解できたと思います。

大人が自分の方に歩いてくるのは、少し恐怖に感じる時があります。

先日は、母の日のプレゼントを買いに行ったのですが、丁度、ショウウィンドウの上面が、車いすの私の目の高さなのです。

立った状態では、見えない、ガラスの上のホコリが鮮明に見えるのです。

物の真実の姿を見るのは、その物に目線を合わせて、しっかり見なければならないということですね。

第三に、自分にとって先ず大切にしなければならないのは、自分自身であり、そして、妻や家族、会社の社員、友人や、多くの地域の人たち、、、、。

いまさら、そんなことを?と思われるかもしれませんが、あらためて、強く思ったのです。

連休も終わり、めいっぱい頑張ってゆくつもりです。

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2011年5月 5日 (木)

消費税増税に反対!!

消費税の増税もやむなし、という意見もあります。また、電力料金のアップによる補償の充当もやむなし、という意見もあります。

しかし、どこで、どのような議論がされているかわからないまま、国民に押し付けるようなことだけは、してほしくないと思います。

先ず第一に、先日、一次補正予算が可決しましたが、

その前に、民主党政府は、自分達が掲げた政策をどのように変更するのか?!また、当初予算のなかで、どの部分を削減して、今後の復興予算に当てるのか、

全体像を、国民に説明するためにも、復興予算の内容について、基本的には生活復興予算と、都市基盤復興予算とぐらいには、分けて議論しておいてもらいたいですね。

生活復興予算は待ったなしで必要ですので、補正を組んで、どんどん前倒しにすめてゆくべきなのでしょうが、

居住地の再生も含めた、都市機能や、基盤の整備は、東北側との協議も必要ですから、時間的なものも考慮し、進めてゆかなければならないと思います。

それらの、全体像も把握できていない現状で、何兆円もかかるので、消費税の増税を考えなければならないという意見が、あたかも正論のように横行するのは、賛成できません。

必要なものは、必要なもので、為替積み立ての特別会計などを取り崩せば十分、充填できるはずですし、

さっきも書いたように、復興の予算の使い道によっては、その財源の確保のしかたも変えなければならないと思います。

たとえば、期間限定の「復興債」のようなものを発行することも考えなければならないでしょう?!

つまり、大震災の復興に必要だからという、中身の見えない議論を国会でするのではなく、

復興予算の全体像の把握と、その予算の種別、そして、その予算にあった、財源の捻出を議論してもらいたいものです。

私は、基本的には、生活支援予算は、特別会計の取り崩しと、民主党の政策変更による財源の捻出、

都市基盤整備については、国債、とくに復興債をもうけて、目標償還時期を復興計画にあわせて実施してゆくべきだへないかと思います。

それらにプラスアルファーで言わせてもらうと、「地域スーパー特区」を設けて、これは全国の地域で対応できるような制度をつくり、

地域間の競争を、いい意味で奨励するような制度も設けて、

全国的な、競争と協働を醸成する環境を作り上げなければならないと考えます。まさに、東北の復興を機会に、全国の活性化を図ってゆける「しくみ」をつくる、いいチャンスではないでしょうか?!

さらには、今回の経験を生かし、首都機能の分散を早急に図ってゆくべきだと思います。

まあ、今の官邸のリーダーシップでは、機能分散を加速的に進めることが、日本の復興につながるはずです。

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2011年5月 4日 (水)

批判的風潮

みのもんたの「あさズバ!!」を見ていて、どうも違和感を感じてしかたなかったのです。

なんか、「けなす」、「あおる」、そんな、言葉が多く、

毎朝、やってて、みのさんは、いつ勉強してるのかなあ?みのさんはすごいなあ、と思っていたのですが、

その違和感の原因が、みのさんの口調にあることに気づきました。

影響力のあるキャスターだけに、

国全体が、批判的風潮に巻き込まれることを懸念します。

また、同じ人でも、批判的客観的、立場のエネルギーの大きさと、主体的立場のエネルギーの大きさでは、違うのでしょうが、

あまり、その差が無い、

もっと言うと、主体的立場に立った時の方が、大きなエネルギーで行動できるような人間になりたいものです。

今の民主党のように、

批判的な立場でいる時、つまり、野党でいる時と、主体的な与党でいる時の言っている内容まで違ってしまっては、どうしようも、ないですね。

反対、反対、で国民の批判的心情を湧き上がらせ、その対極にあたかも、正義が存在する、もしくは、全ての人が享受できる幸せが存在するかのような論法を、これ以上、広げることは、将来の子供達にも、いい影響は出ないのでは、、、。

今の、自民党や、民主党の、姿勢は、もっと国民に評価されてもいいと思うのですが、

すべて、政治の責任という一くくりにされて、国民の非難の対象になっているのが現状です。

私達は、100年に一度と言う経済危機の状況下にあって、

世界の各国は、自力でそれを脱出し始めている時、世界で2番目に財政状況の悪い日本が、どのようにその危機的状況を脱してゆくのか注目していたはずです。

そこに、今回の東日本大震災という未曾有の災害です。

世界各国からは、日本は必ず蘇るとエールをもらっています。

日本に対しての世界の視線は、この数年間で大きく変化したと思います。事実、いま日本がおかれている状況は、

経済的にも、政治的にも、そして、社会的にも、さらには、私達の意識の面でも、底辺に近いところにいるといっても過言ではないでしょう。

頑張れる、風土と意識を醸成し、

将来の日本を背負っていってもらう子供達に、恥ずることのない言動を心がけてゆきたいですね。

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2011年5月 3日 (火)

平成16年

平成16年、新居浜で大水害があったのですが、

その時に、忘れられない光景に出会いました。

その年の水害は凄まじいものでした。

床上浸水も全壊の家屋も多数でました。被災の当日は、夜が明けるまでずっと緊急防災対策を現場で指示し作業をしていたのです。

翌日はボランティアセンターを立ち上げました。

それから数日たったある家での光景です、

高校生の女子二人が懸命にヘドロで汚れたトイレのあたりをきれいに拭き掃除をしていました。

ドロドロになりながら、夕刻になって作業を終了するときに、その家のおばあさんがやって来て二人に「ほんとにありがと!!助かりました」と深々と頭を下げてお礼を言っていました。

その家はそのおばあさん一人住まいでした。そのおばあちゃんのお礼の言葉にその二人は、

何とも眩しいぐらいの笑顔で「おばあちゃん、明日も来るね!!」と声をそろえて言いました。

私には、そのおばあちゃんの頬を流れる涙がはっきり見えました。

その二人の女子高生はおばあちゃんの「ありがとう」の言葉にエネルギーをもらったかのように、元気よく帰ってゆきました。

 彼女たちは、この心地よい感覚を一生わすれることはないと思います。

ボランティアの原点です。

また、主体が客体に変わる瞬間とも言えるでしょう。

助けるつもりが、助けられていたという経験は、誰しもあると思います。

今回の、東日本大震災で、新居浜の芋炊きボランティアへいった、みんなも口をそろえて、「逆に励まされてきました。」と言っていました。

「ありがとう」の言葉に、

これからも、「こちらこそ、ありがとう御座います。」と言える活動を続けてゆきたいと思っています。

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2011年5月 2日 (月)

思い出ばなし、

連休は、ブログネタもないので、思い出話などをすこし、、、。

16年前、阪神大震災で被災した神戸にボランティアで行った時の話しです。

阪神大震災~くさったバナナ折り~

震災がおき、そのよく日、東京の日本青年会議所会館へ行きました、山本会頭も被災し、ご子息が亡くなったらしい情報が入っていました。

全国からの支援物資を、何処へ集めてそれからどのルートで被災地へ搬入するか、

私は東京から各地の青年会議所に指示を出し、例えば神戸以西の所からの支援物資は、姫路の商工会議所駐車場にいったん仮置きしてから搬入とか・・・。

あと、被災地に乗り込んだボランティアの人達の為のボランティア保険の契約(当時は、まだ、ボランティア保険という名称さえなかったのですが、初めてつくったのです)を済ませてから、四国の青年会議所のメンバーとも打ち合わせをして、金曜日、瀬戸大橋の公園に集結。それから現地へ進行し、土曜の朝より「たきだし」と「うどん」を提供することとしました。

およそ150人ほどのメンバーで数十台の車やトラックで大橋を渡って行きました。先頭は当然私が運転する4トントラック(水をつんだタンク車)です。

途中、明石の辺りで、警察の静止をうけ、私が交渉して了解を得て、いざ現地へ、

高速道路はさほどいたんでもなく、何とか新神戸トンネルまでやってきて、トンネルの出口まで来た時、

あまり景色も変わってないしと思いながらハンドルを右にきった瞬間、

私のひざは、ガクガク震えていました。

眼前の光景はまさに焼け焦げた街と、道路にビルが横たわっている。今までに見たこともない光景でありました。

その後、部隊は3班に分かれて、それぞれうどんを皆さんに提供しました。1500食ほどあったうどんもあっというまになくなり、

その後、4トン車で市内を走っていた時です。

おばあさんが乳母車を引きながら歩いていました。「おばあちゃん、なんか手伝おか?」と声をかけると、そのおばあちゃんは「水が無いのよ!!」と、言うので「水なら、おばあちゃんこの車に、まだたくさんあるよ!!」と私が言うと、おばあちゃんは、「ついてきて!!」と、さけんで、小走りで前へさっさと行きました。

そこは、「えげやま小学校」と言う小学校のグランドでした。

途中、電信柱が倒れて、車が行けない所で車を止めると、グランドの方から「オー!!」と、言う声が聞こえ、男性が数人、その電信柱をあっという間にのけてくれました。

それから何時間かそこに避難している人々に水を供給し、水を出している間は、私達は物資を校舎の中へ運び込んだりしていました。

私がしばらく神戸に残って活動をすることを、校長先生に伝えると、快よく図書室の一角を提供してくれました。

また、給水が終わって、車で区役所へ向かおうとすると、避難所の、おおぜいの人達が、

口々に「ありがとう!!」「助かったよ!!」と言ってくれました。皆さんが与えてくれた拍手に勇気づけられました。

区役所へ向かったのは、食糧や物資の運搬を手伝おうと思ったからです。区役所に着いてみると、なんと、お弁当が山のように積み上げられているではありませんか?!

「なぜ、避難場へ運ばないんですか?」と、区役所職員に尋ねると、

「この避難所は何人、ここは何人というふうに、必要個数を確認してからでないと、運べません」と言うのです。

「え?」「なぜ?」「持っていって1個でも足りないとそこで、ぼろかすおこられるから!」

「えー!!!、それやったら、ボランティアの僕達で運びますョ」

結局、配給される弁当は私達がボランティアで運ぶこととなりました。最初、私達が持って行って足らなくてもそう怒られることはありません。

そんな活動をしているある日、ある避難所のテントから、「ちょっと、ちょっと」と、呼ばれて行ってみると、そこには大量のくさったバナナがありました。

「毎食、バナナくれるんやけど、そのバナナが鼻について食べれんのや。ワシらでかえしたら、次からくれんようなったらいかんので、ボランティアのあんたらで、このバナナ、捨ててきてくれんか?!」

その夜、私達は穴を掘って腐ったバナナを折って捨てました。

区役所と住民の方々、お互いの信頼がしっかりできていれば、こんな話など、あり得ないことだと思いました。

行政と住民の信頼感!!必要ですよネ!

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2011年5月 1日 (日)

ライブその2

他の出演バンドメンバーを見てると、さすがに若い!!

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ドラムの恭介ちゃん、阿南からやってきてくれました。運送会社の社長です。

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ベースの大木ちゃんは呉から、ライブハウスのオーナー兼、お茶の先生

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ギターのノリちゃんは、ブティック経営、新居浜です。

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キーボードのゴオくんは、鉄鋼会社を経営しています。

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そして、私も含めて、みんな、けっこうノリノリで頑張ってくれてますけど、年はくいましたね。

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