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2011年4月18日 (月)

九死に一生を得た、、、。

皆さんも、あると思いますが、私の記憶にも、「九死に一生を得た」というような記憶が、今、思い起こせば、何度かあります。

その最初の出来事は、私が、幼稚園の頃のことでした。小さい組ですから、5歳ぐらいだったと思います。

当時、私の家は、新居浜市西原町にあった住友さんの(たぶん住友鉱山の敷地だったと記憶していますが)石炭置き場の中にありました。父親が借りて、そこに掘っ立て小屋と作業場を立て、住んでいました。

家には、土の上に板を並べた通路と、通路の両サイドに、みんなの寝るところがあって、仕切りははなく、家が一部屋になってるような感じでした。

一度、友達みんなを家に連れてきたとき、「ここ家?」と言われて、すこし恥ずかしい思いをした記憶があります。

当然、風呂は無く、中須賀にあった銭湯まで、毎晩、腰から大きな磁石をつるして歩いてゆき、銭湯に着くと、その磁石にくっついた砂鉄をカンカンに貯めこみ、

それが一杯になると、近くにあったアイスキャンデイーの倉庫へ行って、一本のアイスキャンディーと替えてもらうのです。

当時ちょうど、父親は入院、母が一人で仕事を切り盛りしていたころですから、私は一日中、外で遊んでいました。

ある日、友達と中須賀の桟橋で遊んでいるときです、

なんかのひょうしで、ドンと押されて、私だけが海に落っこちたのです。桟橋のところですから、水深も深く、泳げない私には絶体絶命の状況です。

その時の、自分が海に沈んでゆく映像が、いまだに生々しく記憶に残っています。水面は明るく、泡がたくさん上に向いて上がってゆく中を、自分はもがいているのですが、身体は沈んでゆくのです。

一度、二度と、二回水面まで、もがきながら顔をだしました。三度目沈む時に、釣り人の釣竿を握り締めたのです。

後で、聞きましたが、ちょうどそこで釣りをしていた小学生が、釣竿を私に差し伸べてくれて、助かったそうでした。

その助けてくれた、当時小学5年生の飯尾さんて方のお母さんも、今も中須賀でご健在です。話は戻りますが、その後、人命救助で、その飯尾さんは表彰されたそうです。

また、溺れたときは、先ほど書きましたように、何度か浮いたり沈んだりするらしいのですが、三度目は、もう浮き上がってこれないところだったと、当時、言われました。

なんとか、陸に上がって、そのまま、ずぶ濡れになって家に帰ると、姉に「あんた、なにしょったんぞね!!」としかられたのを、よく覚えています。しかりながら、当時小学生だった姉は泣いていました。

その事故が原因で、私は極度の水に対する恐怖感をもつようになり、小学校のプールでも泳げませんでした。水に顔を着けられないのです。

それを克服するための練習場は、銭湯でした。一生懸命、銭湯で顔を水に着ける練習をやり、小学校5年生になって初めて、泳げるようになったのです。

そんな、私のこれまでの人生で命拾いをした、最初の出来事でした。

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