« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月30日 (土)

おかげさまでライブ終了

すばらしい天気に恵まれ、ライブが行われました。

その他、イベントも組み込んでの、チャリティーライブ!!

018

震災で、音響の仕事がキャンセル続きで、、、。なんとかしなければと、

大変な、営業環境なのに、このイベントを実行した、藤原くんに、心から敬意を表します。

029

私も、立っているのが精一杯かと思いつつ、ハッスルしてしまいました。

| | コメント (0)

2011年4月29日 (金)

まさか、連合愛媛のみなさんに、、、。

昨日、驚いたのですが、平成16年に新居浜を出発した、スコップが今回の大震災の福島でボランティアのみなさんに使っていただいてたのです。

連合愛媛のみなさんが、福島県へ海砂除去作業のボランティアで行かれたときに、作業に使ったスコップが、贈、新居浜建設協会と書かれたものだったそうです。

さっそく、連合愛媛のホームページで確認しました。ボランティア日誌6のところに、写真で載せていただいております。

また、遠い、福島でのボランティア活動で、同じ愛媛から送られたものと出会うとは、とボランティアのみなさんにも、感動していただいたようです。

このスコップは、まちがいなく平成16年に新居浜から、中越地震の新潟へ送ったものです。新居浜へ送り届けていただいたものに、スコップ500と一輪車を500を買い増しして送ったと記憶しています。

そもそも、その年は(H16)、7月に新潟で豪雨災害がありました。そこへ、福井県から災害支援基金で購入した、スコップを持参で、ボランティアの人たちが乗り込んだのです。

ところが、その月の後半、今度は、福井県で豪雨災害が起こったのです。福井から行ったボランティアのみなさんは、すぐさま、福井へ移動しました。

その時に、新潟でスコップを買い増しして、福井に送ったと聞いています。

その翌月、8月に新居浜が豪雨災害にみまわれたのです。すばやく、福井からスコップが届きました。

そのスコップは当然ですが、泥のけボランティアで、ずいぶん使わせてもらいました。

その後、新居浜は台風災害も何度か受けました。

そして、12月の中越地震です。今度は、新居浜建設協会で、スコップと一輪車を買い増しして、新潟へおくりました。

それから、7年、

まさか、あの時のスコップが福島へ行っているとは?!

私は、16年当時は、この買い増ししては次に送ることを、「善意の送り届け」と称して行いました。

その「善意の送り届け」と、このようなかたちで再会できるとは、、、、。感動です。

連合愛媛のみなさん、ご苦労様でした。すばらし活動をされていますね。

| | コメント (0)

2011年4月28日 (木)

明日、午後2時ごろです

若いみんなに混じって、おっさんバンドも頑張ります。

日経新聞おやじバンド大賞、連続3年、事前審査落選。

大賞の審査員は、私たちのオリジナリティーを評価できていない!!と自分たちだけで思っている。

アルバムも2枚発売、

まったく売れてませんが、売り上げは全額ボランティアに寄付。

バンド結成は18年前、その時は、まだ若かった!!

正真正銘の、おやじバンド「グッドウィル」明日、午後2時ごろ、四国中央市寒川ビーチにてライブです。

チャリティーライブに、

阪神大震災のときに作った曲をおくります。

「ラブ、ラブ、ラブ」は、愛と夢と絆を歌った曲、

「ガイア」は地球を思う歌、

あと、その町の人々の信頼と希望を歌った、「夜明け前」

もう一曲ぐらいやりますが、まだ、決めてません。

もし、時間があれば来て下さい!!よろしく、お願いします。

| | コメント (0)

2011年4月27日 (水)

明後日になりました

「がんばれ!日本!しこチュービーチ」チャリティーライブです。

朝、10:00からイベントスタートです。

で!あの、伝説のハードロックバンド、「グッドウィル」は14:00頃から出演です。みなさ~~ん是非ともおいでください。

お見逃しのないように!!

http://sikochuu.iinaa.net/ganbarounippon/HOME.html

場所がわからない方は、上のアドレスで検索してみてください。

私は、結局、足の全快は間のあわず、車椅子をステージにおいて、歌いま~~~~す。

コムスンのグッドウィルグループより早い時期に、ボランティア団体グッドウィルを設立し、活動していたのに、風評被害もあって、そのボランティア団体は名前を変えました。

現在は、「NPO法人日本ボランティアサポートセンター」という名前にしていますが、そのころから、活動していたテャリティーライブ専門のバンド、「グッドウィル」は名前も変えずに頑張ってます。

グッドウィル(善意)、この名前に恥じない活動をこれからも続けます。

メインの曲は、ご存知((しりませんよね))!!「ラブ、ラブ、ラブ」

一時期は、この曲ひっさげて、紅白歌合戦に乗り込む予定でした!!(自分だけで思ってただけです)

ドリームカムトゥルーのラブ、ラブ、ラブより早く作った曲なのに、、、。

まあ、とにかく、見に来てください。聞いてください。

私が歌う、バンドのライブ、

再度ご案内します。29日14:00ごろ、四国中央市、寒川のビーチです。

| | コメント (0)

2011年4月26日 (火)

菅総理が辞めてよくなるか?

菅総理に非難の声が、高まっています。当然のことと私は思っていますが、

それじゃあ、菅総理に辞めてもらって、よくなるかということを考えると、見えてこない!!

菅総理のこれまでの、言動から、私が感じるのは、すべての責任に関して、自分の責任を明確にはせず、その場を切り抜けてゆく人だなということです。

言葉では「今の責任を全うするために、全力を尽くしてゆきたい、、、、」とは言っていますが、その責任を全うする部分が、具体的にまったく感じられない!!

政治主導を率先して推進してゆく立場にあるトップリーダーがこれでは、情けないのではないでしょうか?!

しかし、ある意味、菅総理はダメ政治家の一般的な姿を象徴しているようなもので、

彼が、続けることによって、政治自体に対する不信感が、国民の中に広がっているのは事実です。

そこには、民主党や自民党という区別もなければ、政府与党、野党の区別も無いわけで、

菅総理続投のダメージを一番受けるのは、実は、自民党かもしれないし、志の高い、政治家の人たちかもしれません。

で、菅総理が辞めて一番ほっとするのは、やはり、民主党の政治家ではないでしょうか?!

結局、菅総理が辞めても政治家の内部的環境変化でしかないのではないかと危惧します。

菅総理に辞めてもらうことは、是非とも早期に実現してもらいたいところですが、

その後の、総理の人選は、いっそのこと、政党調整抜きにして、国会議員全体で、公開討論会もしくは、公開弁論会を開催して、

個人の立場で、その総理候補者の考えや政策を聞き、自分の意思で総理選びに、一票を投じるように、してはどうだろうか??

その上で、日本国、緊急復興内閣を各党大連立で組織し、3ヶ月程度で、期間限定の復興施策を策定し、

その後、解散総選挙が、順当だはなかろうかと思います。

あくまで、私の私論ですので、実現は難しいでしょうが、そうすれば、民主党にも起死回生の場面はあるかもしれないし、

他の政治家も、その期間、懸命に働いてもらうことによって、日本が復興の道を、心をひとつにして歩んでゆけるのではないでしょうか、

政治が失った信頼を回復する絶好の機会です。

| | コメント (0)

2011年4月25日 (月)

新報道2001年

最近の、テレビの中での政治家どうしの討論は、なんか、両者の意見が、かみ合わず、

見ている私も、フラストレーションのたまる番組が多かったのですが、

日曜日、7:30~の「新報道報道2001」は、政治家もでてましたが、非常に建設的な意見が、重ねられ、おもしろかったですね。

1時間30分じっくり見ていました。

実は、この番組のコメンテイターをしている上山先生から、前の日、宮城県知事も来るんだけど、何か言っとく事なあい?というメールをいただいていたのです。

私が、そのメールを見たのが、朝の5時頃だったので、番組の収録も朝早いし、たぶんメールを見るのは無理かな、と思いつつ、返事をさせていただきました。

一つは、地域で議論をしてもらいたいということです。東京で議論して物事を決めるのではなく、たとえば、東北の知事が一同に会して、今後の東北の復興をどうして行くのかを、議論する場はすでに持っているのかどうか?ということです。

もう一つは、この際、東北州を設置して、そのこに主導権や、権限をもたせて、総括的に東北の復興を推進させるということです。

の二点を、短く、メールに書き込み、先生へ送っておいたのですが、

番組の中で、しっかりと、コメンテーターとして発言していただきました。

上山先生からも、昨晩、メールで、しっかり言っておいたからねという返事をいただきました。

この話を、すこし自慢そうに家内にはなすと、

「とおるさん、自分が出て、話せるように頑張らんかね!!」と一言、

そのとおりで、ございまする。

| | コメント (1)

2011年4月24日 (日)

統一地方選挙、投票日

あっという間に、投票日となりました。統一地方選挙といいながら、愛媛では、私の町、新居浜市だけしか、市議会議員選挙がおこなわれていません。

これも、少し変な話ですよね。ほとんどの市域で合併があったため、しかたがありませんが、、。

全国の、結果も、どうなるのか?全国の竜馬クラブのメンバーは、ちゃんと当選してるか?とか、

でも、一番、気になるのは、新居浜市議選の結果です。新居浜市民をモニタリングすると、おおむね、全国の傾向が見えてくるような気がします。

また、最近、選挙の情勢が読みにくくなっています。思わぬ結果がありうるというのは、

それだけ、無党派層の方の比率が高くなっているということではないでしょうか?当然ですが、そのぶん、どのくらい得票できるのか予測がつきにくくなっているわけです。

また、日頃の、特に直近の4年間の政治活動をどう評価するかということも、うわさで左右されやすくなっています。議員を評価する通信簿でもあればいいのですが、、、。

市議会議員は一番、市民の近くで活動をされているだけに、市民の直接的な批判も受けやすいけれども、

それでも、まだまだ、市民と政治との距離感はありますね。

今回の新居浜市議選の結果を踏まえて、今後の政治活動を、あらためて考えてみようと思ってます。

とにかく、私の同志のみなさん、すべて当選を果たしてもらいたい!!今宵の朗報を期待しております。

| | コメント (0)

2011年4月23日 (土)

切実な願い

昨日、食事を取りながら、ふとテレビを見ていると、画面で、東日本大震災後の、福島原発の問題で、避難を余儀なくされた、おばあさんがでてました。

「この避難所では死にたくない、どうぞ、家に帰って死なしてください、、、、。」

それは、そのおばあさんの切実な思いであったのでしょう。

食事をしながら、涙があふれてきました。

私が母から同じことを言われたら、、、、。そう思うと、

家も、なにもかも無くなって、返れない人、家はあるのに、そこに返れない人、その人たちの思いは、、、、、、。

もしかすると、そのおばあさんは、その避難所に移ってきた人で、移ってきたあと亡くなった人を見ているのかもしれない、

さまざまな、不安がつのる現地のみなさんの、心まで折れてしまっては、

多くの人々の、心を支えるもの、

みなさんに、希望を持ってもらえる、なにか?

中学生や高校生がボランティアで頑張ってる町もありました。その子達は「自分も被災したけれども、自分が頑張って、みなさんにも元気になってもらいたい!!」と言っていました。

その子達の姿は、多くの大人のみなさんに勇気を与えているのではないでしょうか!?

菅総理の被災地訪問もいいけれど、

同じ一人の訪問なら、子供の励ましの声のほうが、はるかに被災したみなさんの心が癒されるのではないでしょうか?!

メンタルケアをどのように進めるのかも、大きな課題です。復興の道のりの中には、しっかりと、心の復興を位置づけておかなければなりません。

| | コメント (0)

2011年4月22日 (金)

日本経済のゆくえ

最近、どの本にも、日本経済の危機的状況が書き綴られています。

藻谷氏の「デフレの正体」そして、野口悠紀雄氏の「日本経済を破滅から救うための経済学」その前は、高橋洋一氏のはまってましたが、、、。

また、先日友人から薦められて、是非見ておいてと言われた、YouTubeの日本経済メルトダウンの危機と題した、大前研一氏の講演、

http://www.youtube.com/watch?v=vDtbsQXrqAE 興味のある方は、覗いてみてください。

できれば、同じシリーズで、「地震発生から1週間、福島原発、、、、。」というのがありますから、それも、見ていただければ、いかに、現政権の対応が遅いかも理解していただけれると思います。

これを見て、一気に大前研一ファンになった私は(すぐ、はまりやすいもんで、、。)さっそく「洞察力の原点」という最新の本を買ってきて読んだのですが、すうっと流し読みできる本でした。

これでは、物足らないと、またまた本屋へ行って、「資本主義の論点」を買ってきて、今読んでいます。結構、面白そうです。

本題に戻りますが、これまでの私の感想としては、今の日本の経済状況があまりにも、財政破綻した、ギリシャに酷似しているということです。

ギリシャ危機の本質も、政治の放漫な財政政策にありました。現在の民主党政権が行おうとしている政策も、まったく同様です。

選挙に勝つための、ばらまき政策と、その場しのぎの言い逃れ、さらには、明確な根拠と、議論なき増税論、

予算を執行するのに、足らないから増税しますということでは、国民は納得できません。

そうでなくとも、世界でギリシャの次に財政が危機的状況にある日本、ギリシャの次といわれています。対GDP比でいくと200%ですから、一般的な企業ででしたら、とっくに破綻している状況です。

それでも、もっているのは、企業を銀行が支えてゆくのと同様に、国民が国債を買い支えているからなのです。しかも国内だけで買われている国債は日本ぐらいじゃないでしょうか?

ひとたび、国民が買い支えできなくなり、海外市場へ国債を流出させれば、一気に大暴落となり、日本は破綻してしまうのではないかと危惧します。

結局、国債にたよらない国家財政を進めるためには、際限なき増税に陥ってしまうことは必定です。

今、最も進めるべきは、政治だけに任さない政策づくりではないでしょうか?経済界は経済界としてビジョンをうちだすというのではなく、

経済のプロとして、政治と協働して、関係諸官庁も同様に同じテーブルにのり、

危機的状況をどう打開してゆくのかを、模索してゆかなければならないと思うのです。

いま必要なこと!!

生半可な政治主導を放棄して、経済、中央官庁、と協働すること!!

日本は、大震災もあり、大きな試練の時、

世界からさまざまな、支援をいただいて復興を目指そうとしているとき、

しかし、日本全体の危機的状況も相変わらず続いていることを深く認識し、

今の民主党の政治家だけで物事を決めようとする、いこじな政治主導ではなく、本来の政治主導という、いい形でのリーダーシップを発揮してもらいたいところです。

| | コメント (0)

2011年4月21日 (木)

手を差し伸べれてない、避難所

久しぶりに、慶応大学教授の上山先生にメールを送り、「東洋のパチュピチュ」へおいでになりませんかという、お誘いをいたしました。

先生とは以前、直島を一緒に散策したり、もっと前には、構想日本で一緒に議論をさせていただいた間柄です。

前に「地域活性化フォーラム」を開催した時、テーマは新居浜の顔づくり、また、拠点づくりとしての駅前の開発について、そのパネルディスカッションの前の講演とディスカッションにも参加をいただきました。

その前日、新居浜に来て、旧別子を歩きたいとの要望が、上山先生からありました。

それならと、当時国交省の観光課長をされていた、荒木課長も誘って、とか言う話になって、楽しみにしていたのですが、

当日は、台風が来てしまって、逆に、翌日、みなさんには何とかしていただいて、新居浜までたどり着いたというようなことで、

フォーラムは成功しましたが、その時の上山先生の希望は果たせないままでした。

あれから、もう4,5年たちます。新居浜の産業遺産の観光も結構全国に広がってきてますので、また、誘ってみたわけです。

あわせて、最近の私の活動なども、特に、災害支援についての状況話などを書いておきました。

上山先生も、支援物資を中心に活動されているそおで、まだまだ、足りないので、支援してほしいという返事がきました。

その後、支援物資を上山先生と一緒に、現地へ供給している方からいただいたメールで愕然としました。

気仙沼付近の避難所で、みなさんは活動しているそうですが、

未だに、公的支援をまったく受けることができてなく、その日その日をなんとかしながら、避難所生活をしているひとが、4000人ほどいらっしゃるそうです。

その避難所で生活するみなさんを、ボランティアのみなさんで、草の根支援をしているのだそうでした。

とりわけ、食料は当然ですが、子供の洋服がまったく足りてないということでした。

石巻のボラセンでは、もう服はいいです。宮城県でも服の受付はしていないように聞いていましたので、驚きました。

幸い、私たちのところに集まっている、物資には子供服がまだたくさんありますので、早速おくることにしました。

このように、現地の情報と言うものは、実際に現場で活動しているひとからもらわないと、わからないものだと、いまさらのように感じました。

中央官庁の役人を、2日間でもいっせいに、現地に派遣して、現地の状況把握なども、もう一度してみては、どうでしょうか?!

| | コメント (0)

2011年4月20日 (水)

バリアフリーツアーセンター始動

ようやく、全国バリアフリーツアーセンターがスタートしました。

障害をもった方もしくは、ご高齢の方、皆さんが、安心して旅行を楽しむフォローを行う、ツアーセンターです。

私の友人、中村元氏がずいぶん前から、パーソナルバリアフリーを提唱し、伊勢志摩バリアフリーツアーセンターを立ち上げ、活動していました。

今回、彼が中心になって、全国でその志に呼応した仲間が、それぞれの地域を拠点に、全国規模でネットワークを持つことができたのです。

ポータルサイトからは、日本地図から、自分の行きたい地域を選んで、その地域のバリアーがどのような状態なのか、

また、ホテルやレストランなどの施設が、障害を持っている方に対して、どのような状態なのか、詳しく調査しています。

まだ、地域は限定されていますが、今後はさらに多くの地域で、この活動が展開されるものと、思います。

四国バリアフリーツアーセンターはhttp://shikoku-barifuri.com/#

私たち、四国バリアフリーツアーセンターでは、初年度として、東洋のマチュピチュでブレークしている、新居浜の産業遺産や新居浜の観光施設を紹介しました。

今年は、2年目として、道後温泉を調査して、みなさんに紹介するつもりです。

今、全国農協のNO、1ツアーは、「東洋のマチュピチュ~道後温泉ツアー」だそうです。

このブームに乗じて、さらに多くの人に、新居浜においでいただきたいし、

特に、身体の不自由な方にも安心しておいでいただきたいと思うのです。

全国バリアフリーツアーセンターのポータルサイトは下記のアドレスです。是非、のぞいてみてください。

サイトの紹介は、 http://barifuri.jp/portal/page/about.html

ご利用方法は、 http://barifuri.jp/portal/page/howto.html

パーソナルバリアフリー基準とは http://barifuri.jp/portal/page/personal_bf.html

●各地相談センター http://barifuri.jp/portal/page/npo.html

まさに、これから発展成長する、ツアーセンター、多くのみなさんに愛されるネットワークとして、頑張ってゆきたいと思います。

| | コメント (0)

2011年4月19日 (火)

まさき育成園、改築落成

先日の日曜日、まさき育成園の落成式が挙行されました。

私が、県議時代から、応援をしていた施設だけに、落成の喜びもひとしおです。

開式の一時間前に、施設を先に見せてもらおうと思って、おじゃましました。

久しぶりに会った、職員の古川くんが、私の車椅子を押しながら、丁寧に施設を説明しながら、案内してくれました。

もう使うことができなくなってた二段ベッドや狭い廊下も、広々とした廊下とラウンジが1,2階に二箇所づつある、快適なものと、なりました。

居室も、全室個室になっていましたし、風呂もいいですね!!

思えば、私はこのまさき育成園へ初めて来たのは、昭和58年ごろ、地域交流ホームが建設中だったかと思います。

当時、地域交流ホームを請け負っていた建設会社が突然倒産し、途中になっていたホームの建設を、引き受けて、後始まいをしに来たときでした。

その後、今度は、今回改装した作業所の建設のとき、

予算が全然足りなくて、請け負う建設会社がいないので、なんとかしてほしいという依頼で、作業所を、私の会社が請負、建設したときでした。ひどい赤字工事になったことを覚えています。

その後は、仕事での付き合いというよりは、ボランティアとしての付き合いです。

その作業所で、入所者のみなさんが、作った、銅レリーフの表札の元になる木板を私のボランティアショップで販売していました。

それからは議員として、たまにお邪魔することがある程度ですしたが、施設の老朽化や、それに伴い、施設を改築しなければならない。

しかし、そこには、砂防地域指定の関係もあって、移転を検討せざるを得なかった経緯、

地元との交渉、

県や、市によって、砂防工事を実施するようになったこと、これまでのいろんな場面でアシストしてきたつもりです。

そして、現在の場所に改築できるようになったときには、改築前の施設は、愛媛県で最も老朽化した古い施設となっていました。

それまでの、村上理事長はじめ、みなさんのご苦労は並々ならぬものであったと思います。

それだけに、みなさんの喜びもさぞ大きなものでしょう!!

今回の、施設改築、村上理事長や役員のみなさん、そして職員の方、何よりも期待していた、利用者や、家族会の皆様、ほんとによかったですね!!

式典の中で、家族会の皆さんからの、ご寄付のなかに、耕運機がありました。

敷地の中の畑で、みんなが笑顔で、耕運機を動かしながら、野菜を作っている姿が、目に浮かびました。

おめでとうございます。

019

| | コメント (0)

2011年4月18日 (月)

九死に一生を得た、、、。

皆さんも、あると思いますが、私の記憶にも、「九死に一生を得た」というような記憶が、今、思い起こせば、何度かあります。

その最初の出来事は、私が、幼稚園の頃のことでした。小さい組ですから、5歳ぐらいだったと思います。

当時、私の家は、新居浜市西原町にあった住友さんの(たぶん住友鉱山の敷地だったと記憶していますが)石炭置き場の中にありました。父親が借りて、そこに掘っ立て小屋と作業場を立て、住んでいました。

家には、土の上に板を並べた通路と、通路の両サイドに、みんなの寝るところがあって、仕切りははなく、家が一部屋になってるような感じでした。

一度、友達みんなを家に連れてきたとき、「ここ家?」と言われて、すこし恥ずかしい思いをした記憶があります。

当然、風呂は無く、中須賀にあった銭湯まで、毎晩、腰から大きな磁石をつるして歩いてゆき、銭湯に着くと、その磁石にくっついた砂鉄をカンカンに貯めこみ、

それが一杯になると、近くにあったアイスキャンデイーの倉庫へ行って、一本のアイスキャンディーと替えてもらうのです。

当時ちょうど、父親は入院、母が一人で仕事を切り盛りしていたころですから、私は一日中、外で遊んでいました。

ある日、友達と中須賀の桟橋で遊んでいるときです、

なんかのひょうしで、ドンと押されて、私だけが海に落っこちたのです。桟橋のところですから、水深も深く、泳げない私には絶体絶命の状況です。

その時の、自分が海に沈んでゆく映像が、いまだに生々しく記憶に残っています。水面は明るく、泡がたくさん上に向いて上がってゆく中を、自分はもがいているのですが、身体は沈んでゆくのです。

一度、二度と、二回水面まで、もがきながら顔をだしました。三度目沈む時に、釣り人の釣竿を握り締めたのです。

後で、聞きましたが、ちょうどそこで釣りをしていた小学生が、釣竿を私に差し伸べてくれて、助かったそうでした。

その助けてくれた、当時小学5年生の飯尾さんて方のお母さんも、今も中須賀でご健在です。話は戻りますが、その後、人命救助で、その飯尾さんは表彰されたそうです。

また、溺れたときは、先ほど書きましたように、何度か浮いたり沈んだりするらしいのですが、三度目は、もう浮き上がってこれないところだったと、当時、言われました。

なんとか、陸に上がって、そのまま、ずぶ濡れになって家に帰ると、姉に「あんた、なにしょったんぞね!!」としかられたのを、よく覚えています。しかりながら、当時小学生だった姉は泣いていました。

その事故が原因で、私は極度の水に対する恐怖感をもつようになり、小学校のプールでも泳げませんでした。水に顔を着けられないのです。

それを克服するための練習場は、銭湯でした。一生懸命、銭湯で顔を水に着ける練習をやり、小学校5年生になって初めて、泳げるようになったのです。

そんな、私のこれまでの人生で命拾いをした、最初の出来事でした。

| | コメント (0)

2011年4月17日 (日)

統一地方選挙後半戦スタート

いよいよ、統一地方選挙の後半戦の火蓋が切られました。

愛媛県では、市町村合併の関係もあって、新居浜市だけで、市会議員選挙が実施されます。

議席の定数も28議席から、26議席に減らしましたし、新人候補が多数立候補して、激戦です。

その分、投票率が上昇するといいのですが、

最近の選挙の投票率は、下がる一方で、、、。まあ、一昨年の衆議院選挙では、70%を超えましたが、

今回の選挙でも、なんとか保守系議員と公明党議員で過半数を確保してもらいたいところです。

市民に一番近くで、日頃から活動しているので、政党色というよりも、市議個人の、人柄や、人間性が、どう市民の皆さんを捉えるかが勝敗に、大きく影響するのでしょうが、

基本的な、政治スタンスをどこに置くかは、

市政運営の中で、大きな判断を求められるときには、その可否に影響することは間違いありません。

私の立場で言えば、党勢拡大というよりは、共に新居浜の新たなビジョンを描ける同志を得たい、という気持ちが強いですね。

政治が大きく変わろうとしている今、

そのうねりは、中央からではなく、地方から起こると確信しております。じゃあ、何故地方政治家として、そのうねりを起こす原動力にならなかったのか?と聞かれます。

私は、今の国政レベルの政治家には、一段高いところから地域を眺めているようなところを強く感じます。

立場上、それが本来かもしれませんが、私は、小選挙区制度の影響も強く感じます。

私は、市議会、県議会、さらには、地域活動をされているみなさんと、共に、同じ立場で、同じ目線で、物事に取り組み、それを、国政で生かしたいのです。

これほど、ネットワーク型の社会構造になってきているのに、

政治構造、また、陳情形態、など、まったくその形が変わらないままでいるのは、政治の世界だけではないでしょうか?

新しい国の姿の中では、政治も行政も、平たいネットワーク型の組織構造になっているのだと思います。

だから、この変革の流れは、地域から起こらなければならないのです。

志をもったみなさんの、当選を期待しております。

| | コメント (0)

2011年4月16日 (土)

支援の心に応える

日本国内からも多くの義援金や、支援物資が集まりました。海外からも多くの義援金が集まっています。

先日、テレビで、タイの小学校で子供たちが、日本へ義援金を集めていたのを見ました。自分のお小遣いからなのでしょう、、、。

当然ですが、義援金を世界の多くのみなさんから頂いたことに、私たち日本は応えなければならないと思います。

一つは、復興の姿を、世界のみなさんに、お見せすることです。前にもブログで書いたように、これまでの町を、同じように再興するというのではなく、新しい概念、つまり、安全で安心な生活を最優先したまちづくりを、そこに展開しなければならないと思います。

次には、みなさんから頂いた義援金や支援を、どのような用途に使ったか、クリアーにしておくべきでしょう。

そして、復興の現地には、世界からのドネイションを明記したものを、残しておくべきだと思います。

これほどまでに、世界中のみなさんが、協力してくれたことを、私たちは日本の歴史と被災した現地の復興の歴史のなかに、刻んでおかなければなりません。

そして、最後に、志のある若者をもっと、世界へむけて、出てゆかすような、後押しを強力に推進しなければならないと思います。その若者たちが、海外で学び、そして、その地でボランティアも行い、

若い世代の多くの人たちに、世界のなかの日本を改めて認識してもらうと同時に、世界観というものも持ってもらいたいのです。

世界のどこかで、何かが起こっても、普通に自分のことと捉えることができ、人的ネットワークで現地の状況が把握でき、さらには、俊敏にその対応ができるような、人材を常日頃から育ててゆかなければならないのでは、、、。

世界のみなさんから頂いた善意に応えるということは、もっと他にもあることでしょう、

今、私が思いつくことは、今日書きました、(1)早期の復興(2)みなさんからの支援を日本の歴史に残す(3)若者が世界へ羽ばたける後押しを、

とにかく、今回の世界の動きは、語り継がれるだけではなく、私たちの胸に刻むのと同様に、日本の歴史に、しっかりとその証を残しておかなければならないと思うのです。

| | コメント (0)

2011年4月15日 (金)

統一地方選挙、後半戦

いよいよ、統一地方選挙の後半戦が始まります。私のところでも新居浜市議会議員選挙があります。

28議席だった、市議会の議席を今回、26議席に減らしての、選挙、

そこへ、新人も多数出馬するので、県議選よりは少し投票率のアップも期待できるのではないかと思われます。

昨日は、12名の方に、出陣式のメッセージを書きました。今日ももう少し書きます。

候補者、お一人づつ、その候補者のことや、活動を思い浮かべながら書いてゆくわけですが、

改めて感じるのは、やはり、みなさん個性がありますよね!!当然のことですが、、、。

しかも、地元の地域のみなさん、つまりコミュニティーの最前線で活動をする政治家ですから、

きめの細かい、市民の要望や意見を聞いているのも、市議のみなさんです。

そのような、市民の皆さんの声を反映できる市議のみなさんと、協同して新たな新居浜のビジョンを模索できれば、と考えています。

これまで、市議会、県議会、そして、国政と政治がその地域に多重に存在していて、

県議会は市議会の要望を聞きます。とか、衆議院は県議会と市議会の要望は聞きます。というような、一方通行的な動きはありました。

現実的には、市行政の要望を市議会がフォローしているということにとどまっていたのですが、

これからの、議員は、自分たちで政策や構想をまとめてゆくように、しなければならないと思うのです。

政治主導の流れは、国政のみならず、(今の政権ではまったくできていませんが!!)

地方政治においても、政治主導の流れをつくってゆかなければならないのでは!!

そのために、市議、県議、が協働して、その地域の政策ビジョンを構築するのは、非常に有用なことですし、

やれば、できることなのでしょうが、いままで、どこの地域でも行われたことがないのでは、とおもいます。

そのためにも、同志のみなさん!!是非とも、勝ち抜いていただき、共に、新居浜のまちづくりビジョンを構築しようではありませんか!!

そんな思いで、心を込めて、一人づつ、書かせていただきました。この思いが支援者の皆様や、市民の方にも届けばありがたいです。

まったく話は変わりますが、、。

余談になりますが、私の会社が販売している「美しが丘にいはま」宅地分譲地では、入居していただく方に、新たに住居をもたれる記念に、桜の記念植樹をしていただいております。

昨年、植えた桜がもう咲いていたので、(1週間ほど前の写真ですが)

2011040915070000

植樹祭も何度か行いましたが、やはり、遅くに植樹した桜は、来年まで待たなければなりません。

2011040915070001

来年は、もっとたくさんの桜が、

将来は、立派な桜並木が、ここにでき、多くのみなさんの心の癒しになれば幸いです。

| | コメント (0)

2011年4月14日 (木)

今こそ、ビジョンを!!

日本全体が、東日本大震災の復興を支援しようと、心をいとつにした今だから、

世界中が、今回の震災への支援をしようとしてくれている、また、日本の復興を期待してもらっている、今だから、

東北地方の新しいビジョンと、国としての、そのビジョンを具現化するために進める施策について、国民や、世界に向けて、語り掛けなければならないのでは、ないでしょうか?!

原発事故に関しては、世界に対する責任を、しっかり果たす意味でも、東京電力から、切り離してでも、国の責任で解決する気構えを見せてもらいたいところです。

さらに言えば、今後のわが国の、エネルギー政策上、原子力発電は、すべて国直轄にし、国内均一の基準と、危機管理体制で、運営をするべきではないでしょうか?!

今回の事故のように、経済的にも、社会的にも、責任の大きな事案を、一民間会社が負えるわけがなく、

その上、多くの避難した住民の方の、これからの生活まで、何らかの保障をしてゆかなければならない。

被害としては表面化していないかもしれませんが、国際社会における、日本の産品の信用問題にまで、発展しかねない問題です。

今、世界が、日本の原発対応を、自国の教訓としようと、大きな関心を寄せています。また、世界が協力して、今回の事故の対応をしてもらえるような、呼びかけをしなければならない!!それも、国の責任です。

東電からの、状況説明を鵜呑みのして、それを、国民に発表するだけの、官房長官、

記者会見ごとに、「最大限の努力をしています。」しか言わない、菅総理、

こういうときだからこそ、政治主導のリーダーを振るっていただきたいと思いますし、

東北地方の復興へ向けての、新たなビジョンと、国の責任の明確化を、国民に、語っていただきたいと思います。

今回の大震災は、阪神大震災のときとは違って、もとあったところに、また、町を再生するという復興ではだめだと、私は考えています。

活気ある水産業の復興と、安心できる居住区とは、どうしても、一定程度の距離を持たなければならないということではないでしょうか、

漁業者の方は海の近くに住み、朝早くから漁に出かけていました。ですから、海の近くに家があります。しかし、これからは海から離れたところの家から、海まで通勤するという、感覚を定着させなければ、ならなくなると思います。

つまり、今までどおりの町の復興というのではなく、新しい生活の創造と、災害に安全な居住区の確保、さらには、産業の再生を進めてゆかなければなりません。

いつのまにか、家が少しづつ、建ってきたというのではなく、

今だから、実行に移せる、新たなビジョンを求めます。

| | コメント (1)

2011年4月13日 (水)

がんばろう!日本!in しこチュービーチ

東関東大震災の支援チャリティーコンサートが開かれます。

POWER TO THE PEOPLE~元気と愛を愛媛から~と題して、愛媛県で活動するバンドが10組近く、出演する予定です。

当日、ゲストも出演するようです。

実は、私のバンド「GOOD WILL」も出演することになりましたあ~~~!!

阪神大震災の時に作った曲「ガイア」また、その年に、作った、「LOVE LOVE LOVE」(ドリカムより早くこの曲名はつけてましたから、、。)

また、97年、私の親友、村岡兼幸くんが「大変革、夜明け前」を出版したときに、記念して作った曲、「夜明け前」などをやろうかなと思ってます。

なにせ、30分を与えられているだけなので、もう一曲ぐらいで精一杯かなあと思ってます。

詳しくは、下記のアドレスを見てください。

http://sikochuu.iinaa.net/ganbarounippon/HOME.html

あと、当日、お暇な方!ぜひとも四国中央市へ!!

この、ビーチは一昨年、セックスマシンガンズのライブに、たまたま、出くわして、マシンガンズのリーダーの安ちゃん(新居浜出身)と出会った場所です。

そこで、演奏できることは、最高に、光栄であります。がんばっぞ~~!!

| | コメント (0)

2011年4月12日 (火)

桜は、どうしてこれほど、私たちの心を捉えるのでしょう?

丁度、多くの人との出会いと、別れの時期に、それを演出してくれるからなのでしょうか?!

Img_2798_2

卒業式、入学式、、、、、社会人として入社したとき、

窓から見える桜は、早く咲いた桜は、必ず早く散っています。当然、遅く咲いた桜は遅くまで咲いています。

並んで、植わっている桜なのに、花が咲くときの日にちの差が、間違いなくあるのです。

Img_2801_2

しかも、よーーーく、見ると、微妙に桜の花の色がちがいます。

真っ白の花、少しピンクがかった白、いわゆるピンク、、、、。桜の木は、それが桜の木だと見ればわかりますが、

その木を見るだけで、花の色までは、私にはわかりません。ところが、、、!!

ところが、散って葉桜になった桜は、何色で咲いていたのかわかるのです。

私が見ている桜並木では、花が散った後の葉が、赤ければ赤いほど、花の時にはピンクに近い、もしくは赤みがかった桜だったようです。

逆に、葉が緑に近ければ近いほど、花は白に近いようです。

桜の木というだけでは、花の色はわからない、

そして、咲かせた花にはいろんな色合い、濃淡があり

早く咲けば、早く散り、遅く咲けば、その分遅くまでそこにたたずむ、、。

ところが、花が散ったあとは、どんな花だったのか、葉桜が物語る、

なんとなく、私たちの人生に通じるものがあるような気がします。

そういう意味では、これからの、遅咲きの人生を、自分の与えられた使命を全うしながら、精一杯尽くしてゆきたいと思います。

またその結果として、どんな花を咲かせたのか、わかる葉桜を残してゆきたいと思うのです。

桜に思う、、、。合掌

| | コメント (0)

2011年4月11日 (月)

地方選の結果に思う

統一地方選挙の前半戦が終了しました。

まず、知事選では三重県の鈴木氏が勝ったのは、すばらしい。彼とは、前回の衆議院選挙で、お互い苦杯を飲んだ中で、彼は、その後参議院選挙にも挑戦!!

ほんとに、意欲的に選挙に取り組んでいたし、また、別の若手政治家の会でも、会ったりしていましたが、彼の前向きさには、恐れ入ってました。

今回、民主党の本拠地とも言える、三重での勝利は、自民党にとっても、大きな戦果であります。

一方、私の町、新居浜ですが、自民党は二議席を回復しました。私が抜けた後、自民党はゼロですから、画期的なことです。

二人の候補者もよく頑張ったと思います。

ただ残念なのは、もう一人の保守系の公明党推薦の候補者が落選したことです。逆に、民主党の新人が、当選したことも、、、。

まさかの、落選でありました。新居浜は三期目の壁みたいなものがあって、大きなふるいに、かけられるのかも知れません。

彼は大丈夫だろうと、思っていただけに、結果を聞いて、びっくりしました。

この、10数年、三期目で断念したり、三期目で落選する人をよく見てきました。また、新居浜では、亡くなった小野県議以外、4期以上務めた県会議員は、この二十年近くいないのではないでしょうか?!

新しいものを好むという、新居浜の気質がそうさせているのか?

地盤を作りにくいのか?

それとも、それほどの政治家がまだ出てきていないということなのか?

そういう意味では、今回当選した、若手の新人が、これから、どの程度新居浜に根を張って活動してゆくか、見守ってゆきたいところです。

この後、統一地方選挙後半戦である、市議会議員選挙が始まります。ここでも、保守本流の流れが生まれてくることを、期待しています。

| | コメント (0)

2011年4月10日 (日)

戦いが終わって、、、。

統一地方選挙の第一弾、県会議員選挙が終了しました。これまで当事者であった、私が、応援する立場で、県議選を過ごしたのは、12年ぶりです。

今回、私の町で、特徴的なひとつは、おおむね、すべての政党が勢ぞろいして立候補しているということです。

さらには、保守系の候補者は、震災の関係もあり、街宣車を自粛しました。逆に、革新系(民主も含んで)はすべて、街宣車を走らせたのです。

新人、現職、関係なく、公明推薦候補と自民公認候補二人は、街宣車を自粛しました。逆に、社民、民主、共産、非自民非民主、の4候補は街宣車を、走らせました。

保守系に候補は、やはり、街宣車が無い分、選挙戦術的には、難しいところもあったと思いますが、有事の中での今回の選挙、十分評価されるべきだと思います。

さきほども、申しましたように、私の町、新居浜市は、各政党がひしめきあって、まさに日本の縮図てき様相を呈しています。

その反面、新人が複数立候補したわりには、盛り上がりに欠けた選挙でもありました。

政治に対する、国民のみなさんの期待感が希薄化している影響かもしれません。

それを、回復するためのも、強いリーダーシップの元で、政治を改革してゆける人材が必要です。

東日本大震災が起こったなか、「がんばろう、日本!!」のスローガンを日本中で呼びかけられている今だからこそ、

たとえ、投票率が低かったとしても、市民のみなさんが、自分の一票を投じるときの重さは、これまで以上のものがあるのではないかと思うのです。

日本がまさに、国難にさらされている今、

今回の選挙で選ばれる候補者には、大きな使命が用意されているような気がします。

志のある、候補者の方、そして、我が同志に、当選の栄を心から願うところであります。

| | コメント (0)

2011年4月 8日 (金)

いよいよ出発

いよいよ出発です。最終的にボランティアは20人集まりました。

出発式には、佐々木市長や工藤部長も激励に駆けつけてくれました。

Img_2786

昼から、物資の積み込みを手伝ってくれた高校生のみんなも見送り、

その前には、全員で、被災地の皆さんへの「寄せ書き」をつくりました。

Img_2791

現地へ向かう、たのもしいボランティアのみんなで、肩くみ円陣で、気合をいれます。

Img_2797 

今日、松山を出発した、県がつのったボランティアのみなさんも、女川を目指すそうです。

偶然ですが、われわれも、いまだに現地とは連絡が直接はとれない、女川を目指すのです。

ただし、避難所の場所や人数は、県社協のおかげで、確認できていますし。松山出発のボランティアのみなさんが、どこで活動するのかも、情報は得ています。

現地で愛媛県人が、出会い、協力しあえたら、いいですね!!

| | コメント (0)

ボランティア説明会

7日、被災地支援ボランティアの説明会を新居浜市総合福祉センターで開催しました。

約20人ほどの人が集まっていただき、現地までの経路から、現地での活動、あとボランティア保険の説明など、

特に、現地では避難場所三箇所に別れての炊き出しになりますので、段取りが重要です。

Img_2768_2

冒頭、挨拶をさせていただきましたが、参加してくれている皆さんの顔を見ながら話していると、なんとなくこみ上げてくるものがありました。

Img_2775

石巻から依頼のあった、緊急支援物資の手配もおおむねつきましたし、物産協会からは、今までの分よりさらに、

(有)きいち本舗さんはビーンズせんべい、(有)近藤製菓さんからは落花生、(株)一梅酢さんからは、だいだいぽん酢とジュースをいただきました。

それと、心強いのは、料飲組合さんから女性が三人参加してくれたことです。炊き出しには強気見方を得ました。

また、クックチャムさんの保冷車もありがたい、

8日の積み込みには、高校生の応援もいただけるようで、

出発に向けて、どんどん、支援の輪が広がっているように思えます。

後は、全員無事で、使命を完遂してくるのみです。

| | コメント (0)

2011年4月 7日 (木)

震災復興と日本の大転換

もうすぐ、東日本大震災から一ヶ月になろうとしています。

阪神大震災の時の被害総額が10兆弱、今回の震災の被害総額は発表では10兆~25兆と、前回を大きく上回っています。

しかも、福島第一原発事故による被害などは考慮されていない数字ですから、現実的には、それ以上のはるかに膨大な被害額になることと思われます。

先日、東京の友人からの電話では、東京でも震災の関連で連鎖倒産を余儀なくされた企業も、少なくないと言っていました。

そういう意味では、震災の被害は以前、拡大していると言わざるを得ないのではないでしょうか、

また、復興に関しても、阪神大震災の時と違うのは、復興の主軸を担う建設業界が、これまでの数年間の業界環境の影響で、リストラなどを繰り返してきた結果、人手不足や、技術者の他業界への流出がすごく、復興のスピードアップに対応できるかどうかという懸念もあります。

その上、中東不安によって、原油の高騰による、資材関係の高騰、品薄なども懸念されます。

産業全体の、復興と言う意味では、今回の震災は、神戸の時と比べて、農業のダメージが大きいうえ、福島原発事故による風評被害が甚大であるため、産業として、農業産業を復興してゆくのは、かなりの時間を要するように思えます。

その他、物流産業や、製造業、サービス業など、その復興過程で、日本全体にも影響を及ぼす可能性も多大でありましょう。

さらには、日本全体のエネルギー政策も大きな転換を迫られることと思います。

つまり、震災復興の過程で、私たちは、都市基盤もさることながら、現在の産業や、生活さえも見直さなければならないのではないでしょうか?!

そういう意味では、東日本大震災の復興は、日本全体の大転換期と、国民全体がとらえ、その、変革を国民全体で乗り越えてゆく自覚が必要だと考えます。

その先人を切って、範を示し、また、国民に理解を求めることをすすめるのは、政治ではないでしょうか?!

あまり、危機感を醸成し、消費マインドを極端に低下させてしまうことは、避けなければなりませんが、

国民の更なる奮起をうながすような、政治のリーダーシップをもとめたいですね。

| | コメント (0)

2011年4月 6日 (水)

支援活動、最終準備

昨日、今回の被災地支援活動の最終準備の打ち合わせをいたしました。

やっぱり、こんな時は、何人かが集まって考えるのがいいですね、いろんな知恵や、人のつながりで解決できることなど、多いです。

昨日書いた、物産協会さんの協力に、さらに、

クックチャムさんからは、炊き出し芋炊きセット200食と保冷車、さらには、ボランティアで二人参加してくれることになりました。

新居浜料飲組合さんからも、同様に炊き出しセット300食、芋炊きののときの鍋や道具を一式、

四国中央市の寺尾果樹園さんは、はっさく、はるかや、デコポンなど15ケース、

新居浜給食センターさんからは、調理のときの白衣、北中からは、テント、etc

さらに、支援の輪が広がってきました。

車両は、2t保冷車(クックチャムさん提供)、4t給水車(讃岐リースさん提供)、4t物資運搬用車両(白石建設提供)、2tトラック(白石建設提供)、それにワンボックスカーです。

ボランティアの参加は現在のところ14人、もう少し参加をお願いしたいところです。

現地に行き、三箇所の避難所で、炊き出しを実施することになりました。

現地で、テントを張ったり、食材の段取りなど、けっこう、この人数では厳しいかなと思われます。

後、避難所の生の声を、メンバー全員で聞いてもらいたいと思うのです。

阪神大震災の時も、物資の配送センターみたいなところと、避難所の皆さんの要望とには、若干の差がありました。

今回も、マスコミなどは、物資は足りているとか、現地の県を通じては、物資の受付は閉じたような話ですが、

石巻のボランティアセンターからは、緊急の支援物資の依頼がありました。当然、必要ない物資の一覧も添えてもらいましたが、

とにかく、短期間の活動ですが、若いメンバーには、一人でも二人でも、現地の人の話を聞いてもらいたいと思っています。

| | コメント (0)

2011年4月 5日 (火)

支援の輪

今週、東日本大震災の被災地へ、ボランティアでへゆくのですが、

目的地は、宮城県女川町です。

あまりマスコミの報道はされていない地域だけに、なんとか、現地と連絡を取って、行くことにしました。

それと、女川は、私の親友が、多くの中国人を救って、その後、自らは、津波に流され、いまだ行方不明の場所なのです。

中国新報などには、多くの中国人の恩人と報道されましたが、やはり、本人を失うことは、つらいです。

そんな、女川へようやくボタンティアで行ける準備が整いました。

しかも、そのボランティアの輪が、徐々に広がってきました。

高校生の物資積み込み協力や、

現地へ、行くボランティアメンバーも増えてきました。

逆に、現地からの要望も、あり、

当初、現地へは、炊き出しのみで、と思っていましたが、

石巻の避難所から、是非、今、持ってきてもらいたいとの依頼の物資を、途中立ち寄って、届けることになりましたし、

炊き出しの避難所も、一箇所のつもりが、三箇所の避難所で、行うことになったのです。

さらに、新居浜からの支援として、物産協会の皆さんから、現地にお菓子や、新居浜の物産をたくさんいただきました。

守谷漬物:漬物
別子飴:菓子類3箱
ハタダ:タルト36本(396切れ)
永久堂:バームクーヘン・その他菓子 100個
鳥津カマボコ店:ジャコ天350枚
藤田商店:菓子パン300個
蛭子堂:1万円
現在のところ、上記のみなさんです。みなさん、ほんとにありがとう御座います。現地の子供も喜んでもらえるのではないかと思います。
さらに、クックチャムさん、
さらには、料飲組合さんの協力もいただけそうです。
16年、新居浜で豪雨災害にあったときに、多くのボランティアのみなさんのお世話になりました。
その、いくらばかりかでも、ご恩返しになれば、幸いです。

| | コメント (0)

2011年4月 3日 (日)

あっというまに桜が開花

まだ肌寒い今日、早くも桜がしっかりと、咲いていました。

まだ、つい昨日までは、まだまだなのかなあ、などと思っていたのに、

Img_2766_2

桜ほど、その場所で、

また、その木で、咲きぐあいのちがいましよね。

Img_2767

3年前の、京都での桜吹雪、

去年の、広瀬公園の桜、

武道館に咲いていた桜、

いろんな場所で見てきた桜には、

新たな志を持っての旅立ちと、別れを見守ってきたように思えるます。

何故か、見とれてしまいますよね!!

| | コメント (0)

2011年4月 2日 (土)

感謝の心

最近、気付いたことがあります。

感謝の心を持ち続けるということの大切さ、であります。

チャンネルをまわすと、どこも、東日本大震災の内容ばかりです、

その中で、被災された住民の方が、「命が助かっただけでも感謝してます。」「なんとか、頑張ります。」「みんなで、助け合ってやってます。感謝してます。」と言ってる姿をよく見ます。

私が、その立場に居たら、はたして、感謝の気持ちを持てるかどうか、自信がありません。

しかし、そう言っている被災者の方から、勇気を逆にもらえたことは、確かです。

今、私が被災地へ行けたとしても、みなさんに声をかける言葉が見当たりません。

頑張ってくださいという心をこめて「こんにちわ」と言うのが精一杯でしょうか。

ほんとうは、「感謝の気持ちを持つこと」そして勇気を与えてもらってありがとう御座いますと、言いたいところです。

私自身も決して十分な状況ではありません。しかし、今の自分の状況にも、感謝の気持ちを、忘れることのない、毎日を過ごそうと思えるようになりました。

不足を言わず、感謝の気持ちで、まっすぐに歩んでまいります。

| | コメント (1)

2011年4月 1日 (金)

4月1日

おかげさまで、今日、55歳になりました。あっという間の55年であります。

前々から、今年は自分の可能性を、めいっぱい追求する年ときめていました。

つまり、自分の人生の、更なるスタートとしての、大きな節目ととらえていたのです。

26歳で帰郷して、工事現場でみんなとともに頑張ってきました。

35歳ぐらいからボランティアに目覚め、仕事と青年会議所活動に没頭しました。

40歳に社長になり、建設協会の会長にも就任し、さらには日本青年会議所の副会頭もさせていただきました。

43歳からは、政治の道も歩み始め、(私にとってはボランティアの延長線上ですが、、、。)

ただ、2年半前、会社が窮しているころに、無理をして衆議院選挙に立候補し、それからの、いわゆる選挙活動の10ヶ月間は、

自分のことをお願いするのみの10ヶ月間であり、本来の私のまちづくりを考えてゆく、政治活動からは、かけ離れた選挙活動のみの期間でありました。

選挙が終わってから、はや1年8ヶ月がすぎました。

その間に、多くの出逢いもいただきました。また、逆に、疎遠になった方もおいでになります。

そして、選挙後の1年8ヶ月は、いろんな意味で、リセットする期間を与えていただきました。

特に、この、半月あまりの充電期間は、私の今後の活動に必ずプラスになるものと思っています。

55歳、白石とおる、頑張ります!!

それと、今日は、県議会議員選挙の告示日、

同志のみなさん、頑張ってくださ~~い!!

| | コメント (1)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »