2011年1月30日 (日)
2011年1月28日 (金)
公明館
党大会を終えた午後、
翌日、引き続き東京で所用があったため、泊まる事となってしまい、息子のマンションに転がり込むことにしました。
ところが、二人の息子達ともに不在(長男は出張で、その日の終電で帰る)で、
まあ、とりあえずパジャマの代わりになるものでも買いにゆくかあ!!と早稲田通りを歩いてゆきました。
ところが、洋服屋さんは全く無く、
ふと気づくと、私が始めて上京したときに下宿した近くまできてました。何年か前にも来たよなあと、思いながら、
ありました!!「公明館」
私が住んでいたのが昭和49年から50年の一年間、その頃とまったく同じ玄関でした。ただ、玄関の脇は、昔は勝手口があったのですが、現在は、歯医者さんになっていました。
たった一年ですが、いっぱい思い出がつまった下宿屋さんです。
朝と夜は、まかないがついていて、土日は自分で外食です。
司法試験を頑張ってた鈴木誠さん、豊橋でサッシュの会社をしているはずの鈴木裕さん、石巻の佐藤君、松山の矢野くん、和歌山のゴアくん、、、、、。
みいんな、元気でいてるのかなあ、、、、。などと思いを35年ほど前にはせながら、前を歩き去りました。
雪の降る日に、ここを引越ししてから、もう35年ほど経ってしまったのですねえ。
PSパジャマは、駅前のビッグボックスにユニクロがあり、そこで、買えました。
2011年1月27日 (木)
2011年1月25日 (火)
シンクネット
一年ぶりに、構想日本の会に出席しました。
1月、恒例のシンクネットです。
冒頭、加藤代表の挨拶、
一昨年来、実施してきた、「事業仕分け」も一定程度の実績を積むことができました。
ただ、国会議員が出席しての事業仕分けは、どちらかというとパフォーマンスの要素が強いようにうつりますが、
地方自治体で行っている事業仕分けは、仕分け人側もよく研究していますし、その視点も、我々にとって非常に勉強になります。
加藤代表の挨拶のあと、出席国会議員から、「今、日本がやるべき事」についての、意見が述べられました。
トップバッターは、山口公明党代表の挨拶です。
今国会に対する意気込みと、これからの、政策実施に向けて思いをお聞かせいただきました。
そのあとも、何人かの国会議員の方の発表がありましたが、シンクネットに参加する議員の意見は、与党、野党関係なく、
政治家としての責任ある、取り組みを進めてゆく決意が旺盛であることが、よく理解できました。
その後、再び、加藤代表のスピーチがあり、「政党法」についての説明がありました。
その中で、今の、政党の劣化現象の理由として、
(1)政党が理念、政策をつくれない。(ちょっとこれは、致命的ですよね)
(2)内閣にリーダーシップがない。
(3)能力本位で選ばれた議員がいない。
(4)政治資金の不祥事が繰り返され、不祥事における責任の所在が不明確
(5)政党の活動状況や資金の使い方が見えない
などがあげられていました。これらの問題を解消するために、「政党法」で政党の自己統治能力の強化をすすめようというものでした。
まさに、政党や政治、自らが律してゆかなければならないことが多いですよねえ!!
2011年1月21日 (金)
内外情勢講演会
たまたま、上京していたので、内外情勢の講演会に参加してきました。
今回は、「2020年の日本創生~若者が輝き、世界が期待する国へ」と題して、経済同友会 代表幹事 桜井 正光氏の講演でした。
桜井氏は私と同じ、早稲田の理工で、いわゆる技術屋です
経済同友会で昨年末にだした提言書を中心に講演はすすみました。
冒頭、「今日本がかかえているさまざまな問題は、どの問題も、解決が遅れれば遅れるほど、さらに大きな問題になってしまうものばかりである。」は、
まさに同感であります。
しかも、現在の政治は、それを平気で先送りにしているところが、我慢できないのです。
問題を先送りすることによって、どの程度、日本のとってマイナスになっているかは、どの政治かも語りません。
今まさに、待ったなしの状態であることの、危機感が希薄すぎるのではないでしょうか?!
その危機感はあっても、政局に流されてしまうのでしょうか?
中長期の国家ビジョンつまり、「この国のかたち」なき政治の迷走を食い止めることについても語っておられました。
桜井氏の講演は、政治に任せてしまうのではなく、企業家も痛みをともなう改革に乗り出さなければならない、ということで、
あらたな「国のかたち」実現に向けた企業の役割と責任についても、明確に、行うべき決断と実行について示唆にとんだ話でした。
とにかく、「この国のかたち」について、国民的議論を巻き起こし、どのような痛みを、国民も、企業も、そして、政治家も、受け止めてゆくのか、早急に決断するべき時期となっているのではないでしょうか!?
2011年1月20日 (木)
2011年1月18日 (火)
2011年1月17日 (月)
2011年1月16日 (日)
三島後援会新年会
会長の篠永前市長の挨拶でスタート、いい雰囲気の会の運営でした。
山本順三参議院議員の駆けつけいただき一言、
鈴木県議も、そして、私、
遅れてきた井原市長も、
みなさんから、心のこもった応援挨拶をいただきました。
私は、当地の井原岸高先生の話をさせていただきました。私も若いころ先生の選挙のお手伝いもさせていただいてましたし、最初に田中角栄先生のところに連れて行っていただいたのも先生です。
前の日に気がついたのですが、井原岸高先生は1903年生まれで、3期目の県会議員選挙を1955年、つまり52歳で当選し、途中で辞職して1958年に衆議院に当選されています。
実は、私も3期目の県会議員選挙は52歳でした、先生と同様に任期中に辞任して国政に向かったわけです。ただ、国政に向かって立候補した年齢はちがってましたし、私は敗北してるわけですから、、、。
ただ、55歳から新たに志を立て、挑戦された翁のエネルギッシュな姿を感じました。
私も、頑張ろうと、、、、!!
2011年1月15日 (土)
2011年1月13日 (木)
帖祝い
1月11日、四国中央市で、帖祝いの会がありました。
「帖祝い」私には、全然、なじみの無い催しです。古くから、正月明けに、初めて部落の帳面を開けることを、祝って行うそうです。
まだまだ、近くに居るのに分からないことも多いものです。
それと、驚いたのは、井原市長の挨拶の中で、極めてきめの細かい地元への対応の話の内容です。
それほど細い道のこと、とか、小川であったり、その地域からの要望内容を熟知しているだけではなく、
その、対応についても話をされていました。とてもではないけど、それほど、地域のことを頭に叩き込むことは、不可能ではないかと思える挨拶でありました。
次に、進藤副議長、それから、4月に選挙を控えている鈴木県議が挨拶しました。
さすがに、4月に自分の選挙をひかえているだけに、お願いの気合も入っています。
私も、挨拶をさせていただいて、乾杯へと、、、、。
そほど時間が経過することも無く、一昨年の衆議院選挙でお世話になった方々が私のところに集まってくれました。
開口一番、「わしらあ、とおるさんを通すまで死ねんけんなあ!!」
「あんた通したら、もう選挙やめるんじゃ!!」
「とにかく、気合入れて頑張るけん、あんたも頑張ってや!!」
何人もの人から同様の言葉をいただきました。
そうです。
これまで、何度も、くじけそうになった時、皆さんの言葉に救われました。
皆さんの言葉に、勇気付けられました。
一人で戦っているのではないのだということの実感が、そこにはあります。
ありがたい、
そこまで、思っていただける自分が、
不足だらけの自分が、
申し訳ないという思い以上に、
皆さんの言葉によって、情熱がほとばしります。
2011年1月12日 (水)
ソフトテニスインドアチャンピオンシップIN新居浜
一月九日、第9回ソフトテニス、インドアチャンピオンシップ新居浜大会が開催されました。
第1回からずっと、開会式での挨拶と、始球式をさせていただいております。
西日本から、選りすぐりの選手が集まるこの大会も、早やくも9回の歴史を刻むようになったのかと思うと、年月の重みをずっしりと感じるところでもあります。
ナショナルチームに選抜されるような選手も参加するので、
大会を見学に来る中学生も、近年はずいぶん多くなりました。
私にとっての最大の難関は、
始球式であります。
大会に来ては、そのつど帰りには、今年こそはジックリ練習して、来年には、みんなが、目をみはるようなサーブをしようとは思うのですが、
あっ!!というまに一年が過ぎ、
昨年の始球式以来、ラケットを握るのが一年ぶりという体たらく。
朝、九時からの開会式(実は9時半からでした)に、急遽、速く起きて、7:00から、壁に向かって一生懸命しようと、10分もすると、
何か今日は、サッカーの大会らしく、私の家の前にはサッカー少年達が集合!!
恥ずかしくなって、家に一度逃げ込み、子供達が出発してから、再挑戦。
それでも、10分ほどすると息が上がってしまう虚弱さ、
不安を胸に、いざ、開会式、
写真のように、なんとか、サービスエース!!(選手が空振りをしてくれただけ。)
昨年や一昨年のように、サーブが入らなかったということではなく、なんとかコートのサービスライン内をとらえたので、ホットしました。
来年こそは、ちゃんと練習してから行きます。
2011年1月11日 (火)
サッカー協会創立50周年
50年という歴史を刻むサッカー協会、その組織の広がりと深まりを感じる懇談会でした。
Jリーグの選手も来てました。伊藤宏樹選手や福田健二選手また、愛媛FCの青野コーチ
福田選手は小学校の時、釜本さん(元日本代表)のサッカー教室(私が主催しました)強く印象に残った話をしていました。
上の写真は、フロンターレ伊藤宏樹選手と、
下は国際審判の資格を持つ、大畠さん。
福島の方で、私の息子(国士舘時代)と一緒に、サッカーのボランテアをやったことがあるそうで、、、。
とにかく、50年の歴史を重ねながら、人脈の層が着々と厚みをましてきた感があります。
それと、言うまでも無く、サッカー人口の広がりが、それ以外の競技種目にも、いい影響が出ていることは、間違いないと思うのです。
2011年1月10日 (月)
2011年1月 7日 (金)
大統領からの年賀状
Lee Myung-pak 李大統領より年賀状をいただきました。
封筒の表の 「OFFICE OF THE PRESIDENT」がえらい目だったので、封筒を開きながら、「大統領からだったりして、、、!」とか言ってると、
中は、本人のサインもあり、大統領からの年賀状にまちがいなとわかりました。
何故か、いただいたのは初めてです。
しかも、大統領就任式に招待されて、ソウルでの式典に出席した翌年でもなら、まだしも、
もう、何年かたってます。
しかも、宛名書きに、「前県会議員 白石 徹 殿」とちゃんと、現在の私の状況も把握しての、宛名書きに、なっているのです。
嬉しいものですね、、、。
返事はというと、出し方がわからないので、まだ、出してないです。失礼な私ですよね!!
返事は、ちゃんとハングルで出したいと思ってます。
2011年1月 5日 (水)
書き初め
仕事始めを迎え、恒例の社員の皆さんへの挨拶で今年の抱負を述べました。
まずは、昨年を振り返って、創業50周年の節目の年として、新たな創業精神で頑張る一年になるように頑張ってきたわけですが、
白石建設工業本体や、関連企業の体質は随分改善されてきたと思えます。
また、新規事業も、「美しが丘にいはま」開発事業もソーラー事業もなんとか基礎固めができたと思える一年でした。
ソーラーは売り上げ実績により、メーカーからS級をいただけましたし、開発事業も住宅地販売で、何とか目標の月間3区画はクリアーしてきました。
しかしながら、今後の景気状況をかんがみると、まだまだ、厳しい環境のなかで企業活動を続けてゆかなければならないことは事実です。
そこで、今年の具体的な方針として、(1)昨年進めて来た個人評価とさらにグループ評価を改めて定着させる。(2)グループ内の改善活動を推進すること。(3)個人のスキルアップ研修の継続
などを話させていただきました。
結びとして、今年の書初め、「堅忍不抜」
何事にも耐え忍びながら、やりぬく
その言葉をみなさんに伝えて、社内の新年式での挨拶を終了させていただきました。
1月2日の書初めの時のワンショット、1993年から、みんなと続けてますから、もう19年目になりますか、、、。
「堅忍不抜」は1994年にも書きましたので、二回目となります。
2011年1月 4日 (火)
明けましておめでとう御座います
あけましておめでとう御座います。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
暮れの空模様と打って変わって、すばらしい正月晴れとなりました元旦を迎え、みなさんも心も、晴ればれとされたのではないでしょうか?
私は、今年も、石鎚山の成就社へお参りにまいりました。昨年よりさらに寒く、零下9度、雪も前日に70cmほど降ったそうで、
ロープーウエイの乗り場までの車の道中も、完璧にアイスバーンで、タイヤが滑って、「ウワッ!!」とみんなで息を呑んだ時もありました。
しかも、ロープーウエイの降り口から、成就社までの道のりは、結構ハードでした。
残念なことに、初日の出は今年も見ることはできませんでした。
それでも、1月1日に、山へ行けたことの充実感は十分ありました。
今年が、どんな激動の年になろうとも、私は、わたしのやるべきことを確実に進めてゆく!!
それを肝に命じて頑張ります。
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