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2010年12月31日 (金)

今年を振り返って

この一年、なんといっても民主党の政権運営のまずさ!!また、優柔不断さには、驚かされた。

政権交代を果たした民主党は、国民の期待を一心に受け、スタートをきったと思いきや、

みごとに私達の期待を裏切ったのです!!

鳩山政権が終了した後、菅政権が誕生した時には、必ずや、民主党が選挙の時に掲げたマニュフェストを、大幅に変更して、

尚且つ、これからの日本の目指す方向を、国民に指し示してもらえることを期待しました。

結果的には、菅政権誕生の人気に乗じて、参議院選挙を勝ち取ろうと、自分達が成立させた、諸法案をすべて廃案にしてまで、早期の参議院選挙に臨んだのでした。

ここで、重要なのは、鳩山政権は独自の経済政策はなんら実施することはなく、麻生内閣の時の経済対策の補正予算を、一時中止し、4~5ヶ月後に再度同様の内容で実施したということです。

つまり、自民党としての経済政策を一時的に否定をしておいて、同様の政策を、あたかも自分達の政策といわんばかりの、進め方です。

また、その後の菅内閣は、参議院選挙に敗北して、その後、民主党内の代表選挙となり、

代表選挙の間、一に雇用、二に雇用、、、。などと言っていたのに、代表選挙の中での議論は、中身の無いもので、尚且つ、代表選挙とは名ばかりの、民主党ないの勢力争いに終始してしまったでありました。

つまり、民主党政権は、国民の生活第一と標榜しながらも、その実、景気対策や雇用対策などには、党独自のものを全く打ち出すことも無く、一年を無駄に経過させたことになると思います。

あたかも、国民に対しては、事業仕分けなどで、アピールはしたものの、

何を持って、政治主導と考えているのか聞きたいものです。

私も一政治家として、今の民主党の状態は、いかんともしがたい、政治の現状としては、最悪の状況と言っても過言ではないのでは、、、。

日本の舵取りに命にかける、志の高い、信頼できる、政治を早く再構築しなければならないのです。

またまた、今日のテーマには関係の無い、もちつきです。

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コメント

持論・結論がなければ、議論する資格もないはずだが、相手かまわず言いがかりをつけて議論をしたがる人がいる。
折角、相手を議論で打ち負かしても、それに代わる自説を提案できないのは非建設的である。
議論では「破壊は建設なり」とは行かない。不毛の議論にしかならない。時間はいくらあっても足りない。

自説を述べればそれで万事発表は終わる。
さらに、自説に似た他説があれば、自説の優位性を述べることも有益なことである。
これは、人類の進歩につながる建設的な態度である。

考える人にならなければ、自説はできない。このような人は、とらえどころのない人と呼ばれている。
しかるに、丸暗記と受け売りの学力を使って議論をしかけようとしている。
真正でない学問をもって世俗におもねり、人気に投ずる言説をなすことを曲学阿世というが、こうした行いが横行している。
こうした行為は、あながち個人の責任には帰しがたいが、由々しい事実であることには間違いない。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

日本語には、時制というものがない。だから、未来時制もない。
自分達が努力して向かうべき理想の内容も語られることがない。いわゆる無哲学・能天気である。
未来社会の内容が明らかにならないので、われわれは未来社会の建設に着手出来ない。

日本人の世の中の把握の仕方は、現実の有様に関するものである。「世の中は、、、」の形式で表現される内容である。
現実の内容は、皆がほぼ一致する。一人から答を得たら、それで皆の答がわかる。
現実の内容は、変えられない。政治家には、政治哲学がない。
だから、日本人は閉塞感に襲われる。
英米人の世界観は、未来時制であり現実とは別次元の内容である。
これは人によって違うから、意見は一人一人聞かなくてはならない。
良い提案があれば、相互に協力して建設に励むことができる。

皆が同じ現実の内容を話すばかりでは議論はいらない。
「理屈などは、どうでもよい。現実は見ればわかる」ということになる。
議論をすれば、現実描写に関する個人的なケチの付け合いとなり喧嘩になる。
皆が仲良く生きてゆくには、問答無用で生活することである。
現実にばかり囚われては、別次元の世界が一向に見えてこない。向かうべき所に関する夢も希望もない。
それで、諦観も必要になる。

アングロ・サクソンの考え方が我々の現状の打開策となるであろう。
彼らのメンタリティを理解するために、我々には英語の勉強が必要である。
ある時、私はアフリカの学者から「日本では、何語を使って大学教育を行っているのか」と尋ねられたので、「日本の大学は、日本語を使う」としごく当然のように答えると、相手はびっくりしていた。
きっとその人は、日本語で学問ができるなどとはとても考えられなかったに違いない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


投稿: noga | 2011年1月 1日 (土) 09時36分

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