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2009年1月30日 (金)

経済対策75兆円

今回の経済対策全体を、少し紐解いてみよう!

昨年の一次補正(10月16日成立)で、生活者支援として、高齢者の医療費負担軽減などで2500億円、これについて、実際に高齢者のみなさんの医療費が一人当たりどのようになっているかは、まだ確認できていません。

中小企業への支援として、緊急保障枠6兆円、政府系金融の緊急貸し出し枠3兆円、10月31日開始以降、12月22日までで、125500件ほど、3兆円近くの実績です。

愛媛県での実績はまだ、確認できていません。

二次補正でさらに保証、貸出枠を30兆円に拡大し、金融機関への資本注入枠も10兆円追加しますので、今後もかなりの中小企業が資金面でたすかるはずです。

できれば、これにあわせて、借り入れ返済関して、一定期間据え置きができる制度も欲しいですね。

金利に関しては、今回、さらに低金利になっています。さらには、税制に関しても、中小企業の年所得800万円以下に対する税率を22%から18%に引き下げるように、

さらには、前年黒字だったけど、今年、赤字になった場合に、前年度に納税した法人税が還付される、「繰り戻し還付」も実施されます。

それ以外にも、事業継承税制や省エネ税制なども軽減されると聞いています。

これらは、来年度に成果が現れてくると思いますが、先ほど言いました、返済据え置き期間を設けるのは、これから、年度末にむけての資金繰りでもずいぶん助かると思いますが、、、、。

今の立場で、出来る限りのことはしておきたいと思っています。

中小企業支援に関しては、若干、21年度当初予算の範囲にもはいる(税制改革はそうです)部分も話しましたが、

雇用創出のための交付金なども、中小企業の支援には大いに期待できると思います。

ちょっと一息、続きは明日、

明日は、生活者支援の二次補正分と21年度当初分などと、地域活性化支援の、一次補正、二次補正、21年度当初予算分などについて話してから、私の持論なども書き込みたいと思います。

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2009年1月28日 (水)

二次補正予算

ようやく、二次補正予算がとおりそうですね、しかし、それを実施するためには、予算のみならず、予算関連法案の成立も必要です。

今回の二次補正予算は、国民生活と100年に一度と言われている経済危機に直面したわが国の経済を守るための、大変重要な施策が盛り込まれています。

今回のさまざまな施策の実施にあたっての財源については、赤字国債には依存せず、財政投融資特別会計の金利変動準備金等、いわゆる埋蔵金の一部を活用することとなります。

そのために、予算のみならず、予算関連法案の成立も必要なのです。

愛媛県では緊急雇用対策について、この予算措置を待てないとして、明日(28日)臨時議会で、緊急雇用対策についてのみ議決する予定です。

そもそも、政府も、今回の景気対策について、もっと国民に系統立てて説明する責任があると思います。

つまり、昨年の一次補正予算(10月16日成立)と、今回の二次補正予算と、21年度の当初予算で、経済対策として、どのように取り組んでゆくのかを説明すること、

また、経済対策の施策のジャンヌを、おおまかに、(1)生活者への支援 (2)中小企業への支援 (3)地域活性化への支援と分けた中で、一次、二次、本予算と、どのような手順で実施してゆくのか、

を説明しなければならないと思います。

国民は、一次、二次、本予算、それぞれ別でしか見ていないと思います。実際には一次、二次、本予算の三つの予算の中で、先ほど分けたジャンヌでの施策を、あわせて、総額75兆円の景気対策と言っているわけですから、それらを系統立てて説明する必要はあるでしょう。

その内容については、明日にでも話します。

明日の県議会で可決される、緊急雇用対策もけっこう盛りだくさんですよ!!

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2009年1月27日 (火)

16年豪雨災害での思い出

私は、その時の女子学生の笑顔と、おばあちゃんの涙は忘れることが出来ません。

新居浜市での平成16年の水害は凄まじいものでした。皆さんも記憶にまだ新しいのではないかと思います。

床上浸水も全壊の家屋も多数でました。

被災の当日は、夜が明けるまでずっと緊急防災対策を市内の被災地で指示しながら作業をしていました。

翌日はボランティアセンターを立ち上げました。まだ、西条市にも四国中央市にも設置されてない状況でしたが、できるだけ早くボランテアの皆さんを受け入れる準備をしなければと思い、、、、。

今、市議になってる、永易くんは、よく頑張ってたよね。

立ち上げの準備をして、あと、福井から届いた角スコップや一輪車なども整理をして、足らない資材なども調達しました。

また、ボランテアの皆さんの活動が効率よくできるように、翌日のボランテアの人数を確認しては、夜になってから、管工事組合のみなさんには、ミニバックホウを、建設協会のみなさんには、2tダンプを提供してもうように打ち合わせを行い、翌日の作業の段取りもしていました。

それから数日たった、床上浸水になった、ある家での光景です、

ボランテアで参加した高校生の女子二人が懸命にヘドロで汚れたトイレのあたりをきれいに拭き掃除をしていました。

ドロドロになりながら、

夕刻になって作業を終了するときに、

その家のおばあさんがやって来て二人に「ほんとにありがと!!助かりました」と深々と頭を下げてお礼を言っていました。

その家はそのおばあさん一人住まいでした。そのおばあちゃんのお礼の言葉にその二人は、何とも眩しいぐらいの笑顔で

「おばあちゃん、明日も来るね!!」と声をそろえて言いました。

私には、そのおばあちゃんの頬を流れる涙がはっきり見えました。

その二人の女子高生はおばあちゃんの「ありがとう」の言葉にエネルギーをもらったかのように、元気よく帰ってゆきました。

 彼女たちは、この心地よい感覚を一生わすれることはないと思います。

いい場面に、私も居合わせたことを感謝し、

その時の、彼女たちの笑顔と、おばあちゃんの涙は忘れることができません。

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2009年1月25日 (日)

ヒストリー

今までの、自分の実績を、もっとブログに載せましょうというアドバイスをいただいて、そういえば、ボランテアのエピソードも、「エピソード1」として10月10日より書いてないことに気がつきましたので、政治家としての実績のまえに、何話かエピソードを掲載して、

それから、実績なども書いてゆこうと思います。

さっそく、「エピソード2」をどおぞ、、、、。

阪神大震災~くさったバナナ折り~

震災がおき、そのよく日、東京の日本青年会議所会館へ行きました、山本会頭も被災し、ご子息が亡くなったらしい情報が入っていました。

全国からの支援物資を、何処へ集めてそれからどのルートで被災地へ搬入するか、

私は東京から各地の青年会議所に指示を出し、例えば神戸以西の所からの支援物資は、姫路の商工会議所駐車場にいったん仮置きしてから搬入とか・・・。

あと、被災地に乗り込んだボランティアの人達の為のボランティア保険の契約を済ませてから、四国の青年会議所のメンバーとも打ち合わせをして、金曜日、瀬戸大橋の公園に集結。

それから現地へ進行し、土曜の朝より「たきだし」と「うどん」を提供することとしました。およそ150人ほどのメンバーで数十台の車やトラックで大橋を渡って行きました。先頭は当然、私が運転する4トントラック(水をつんだタンク車)です。

途中、明石の辺りで、警察の静止をうけ、私が交渉して了解を得て、いざ現地へ、

高速道路はさほどいたんでもなく、何とか新神戸トンネルまでやってきて、トンネルの出口まで来た時、あまり景色も変わってないしと思いながらハンドルを右にきった瞬間、

私のひざは、ガクガク震えていました。眼前の光景はまさに焼け焦げた街と、道路にビルが横たわっている。今までに見たこともない光景でありました。

その後、部隊は3班に分かれて、それぞれうどんを皆さんに提供しました。1500食ほどあったうどんもあっというまになくなり、その後、4トン車で市内を走っていた時です。おばあさんが乳母車を引きながら歩いていました。

「おばあちゃん、なんか手伝おか?」と声をかけると、そのおばあちゃんは「水が無いのよ!!」と、言うので「水なら、おばあちゃんこの車に、まだたくさんあるよ!!」と私が言うと、おばあちゃんは、「ついてきて!!」と、さけんで、小走りで前へさっさと行きました。そこは、「えげやま小学校」と言う小学校のグランドでした。

途中、電信柱が倒れて、車が行けない所で車を止めると、グランドの方から「オー!!」と、言う声が聞こえ、男性が数人、その電信柱をあっという間にのけてくれました。

それから何時間かそこに避難している人々に水を供給し、水を出している間は、私達は物資を校舎の中へ運び込んだりしていました。私がしばらく神戸に残って活動をすることを、校長先生に伝えると、快よく図書室の一角を提供してくれました。

また、給水が終わって、車で区役所へ向かおうとすると、

避難所の、おおぜいの人達が、口々に「ありがとう!!」「助かったよ!!」と言ってくれました。皆さんが与えてくれた拍手に勇気づけられました。区役所へ向かったのは、食糧や物資の運搬を手伝おうと思ったからです。

区役所に着いてみると、なんと、お弁当が山のように積み上げられているではありませんか?!「なぜ、避難場へ運ばないんですか?」と、区役所職員に尋ねると、

「この避難所は何人、ここは何人というふうに、必要個数を確認してからでないと、運べません」と言うのです。

「え?」「なぜ?」「持っていって1個でも足りないとそこで、ぼろかすおこられるから!」

「えー!!!、それやったら、ボランティアの僕達で運びますョ」

結局、配給される弁当は私達がボランティアで運ぶこととなりました。最初、私達が持って行って足らなくてもそう怒られることはありません。そんな活動をしているある日、ある避難所のテントから、「ちょっと、ちょっと」と、呼ばれて行ってみると、そこには大量のくさったバナナがありました。

「毎食、バナナくれるんやけど、そのバナナが鼻について食べれんのや。ワシらでかえしたら、次からくれんようなったらいかんので、ボランティアのあんたらで、このバナナ、捨ててきてくれんか?!」

その夜、私達は穴を掘って腐ったバナナを折って捨てました。

区役所と住民の方々、お互いの信頼がしっかりできていれば、こんな話など、あり得ないことだと思いました。行政と住民の信頼感!!必要ですよネ!

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2009年1月24日 (土)

講演会

西条での講演会を終えました。多くのみなさんの参加を得たにもかかわらず、私の話はだめでした。

うまくしゃべろう!うまくしゃべろう!と思うあまり、気持ちのこもった話にはなりませんでした。

今日は何を持って帰ってもらおうとしているのか、何を訴えたかったのか、それを明確に話に入れれなかったことが原因と思います。

だめですね!!一からやり直しです。

私らしくないブログのコメントになってしまいました。失礼します。

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2009年1月20日 (火)

党大会

土曜日の夜の予定をなんとかこなして、JRに飛び乗りました。坂出で2分ほどの乗り継ぎで、東京行きのサンライズ瀬戸に、

最近、このパターンでの上京が多いなあ、、。と思いながら、

7:08東京駅到着、10:00の大会開始まで何しようか?と思いながらも、行くとこも無いので、なんとなあ~く会場へ、

始まりました。けっこうかっこいいオープニングです、

総理の挨拶は、力強かった。普段、官邸でのインタビューなんかとは、全く違う人ではないかと思うほど、情熱をこめた話でした。

たぶん、会場にいたほとんどの人は、この人について行こうと思ったのではないでしょうか!!

支持率の低迷など、まったく関係ない感じまでしました。

大きな拍手が鳴り響きました。

その後、各県単位での青年局によるPRタイム、

各10秒づつの挨拶ではありますが、ユニークなやつが、いるもんやなあ~~と思わせるくらい、多様な感じ、、、。

我が県の高山県議も頑張ってました。

大会が終了して、空いたステージで記念写真を撮ろうと、前に進んでゆくとき、ちょーど麻生総理と遭遇、

「おう!!ガンバ取るか?! おーい浜田!! 」浜田防衛大臣を呼んでくれて、

「白石言うんだけど、よう覚えといてくれよ!!」「よろしくお願いします」

ついでに記念撮影もして、

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2009年1月16日 (金)

母の背中

昨日のモーニングセミナでの、話

会員スピーカーの彼は、お母さんの肩を揉んであげようと思いながら実家へおもむきました。

なかなか、お母さんに「母さん肩もまして!」と声をかけれずに、やきもき、、、。

やっとのことで声をかけると、案外さらりと「やってもろおか」と、

お母さんの肩を揉みながら、こんなに母の肩って小さかったっけ、と思い、、、。

自分のために沢山の時間を犠牲にしてくれた母、

お母さんの背中に一生懸命「ごめんなさい、ごめんなさい、、、、、。」と心の中で言いながら、肩を揉んでいたそうです。

この母に、申し訳ないようなことは絶対にしてはいかんぞ!!と心に誓ったそうです。

揉み終わったときに、お母さんが「ありがとう!」と、

その彼も、「ありがとう」と返して、、、、。

もっと、もっと、お母さんに親孝行しなければと思ったことでしょう。

彼はその挨拶の結びに、「ありがとう」、「ありがとう」と言い合えるような社会を創ってゆかなければ!と、、、、。

お母さんの背中は、偉大ですね。

人に、大きな志も与えてくれます。

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2009年1月15日 (木)

是か非か

ここんところ、渡辺議員が離党したことについてのコメントを要求されます。

私は、考え方とかについては同感でありますが、

まがりなりにも、総裁選挙で決定された麻生総理ですから、自民党議員として支えてゆくことが基本ではないでしょうか?!

それでも、意見の相違があるのであれば、離党もやむおえないかもしれませんが、

離党するからといって、あれほど自分が所属していたところを悪く言うのは、どうかと思いますよね。

私たちが見ている報道の裏側に、どのような真実があるかどうかは分かりませんが、、。

特に最近の報道は、少し偏りすぎの感もあります。テレビなどの報道で私たち国民が真実の情報を得ているのか疑問に思うことさえあります。

とにかく、今回の離党劇、

選挙を前にしての彼の行動の、是非は、選挙の結果によって結果を得ることができるのではなく、

彼の政治家としての行く末を見守りながら結論をえることとなりそうです。

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2009年1月11日 (日)

とおどおくり

無病息災を祈る「とうど」に参加しました。

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2009年1月 8日 (木)

賀詞交歓会

村上誠一郎代議士の賀詞交歓会に参加してまいりました。しかも、挨拶をする機会を頂戴しました。

61年、先生が初当選した時は、私は一支援者でした。苦しかった選挙戦だっただけに、いまだにみんなで泣きながら万歳をした記憶があります。

それと、やっぱり17年の旧保健所の特別支援学校としての利用の際の、

階段の一段一段の高さが、規定より1,2cm高かっただけで、学校として認めてもらえなかった時、

ただ、それだけでも、決して法的なクリアが不可能かと思われた時、

先生の大臣としての好判断というか、建築基準法の解釈をうまくしていただいて、

今の、今治養護学校分校としての利用が可能となっていることです。

新居浜の人々はそのことは知りませんが、実は、先生のおかげなのです。

それも、挨拶の中で、みなさんに伝えておきたいなあとか、思いながら壇上に上がりました。

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2009年1月 7日 (水)

お水とり

そう寒くは無いと思いながらも、朝の6:00前、寒さがそのまま、そこの空気の神聖さを感じさせる「つづら淵」でした。

恒例の「お水とりの神事」に初めて参加させていただきました。

1月7日に一宮神社の宮司が霊泉を神前に献上することで始まったそうです。

さすがに、平成の名水百選に選ばれているだけあって、泉の水の神聖さが伝わってきます。

神事の後、年男、年女の方が次々と水を汲んでは、樽に注ぎます。

最初は84歳の方から、、、、、、。

親父も生きていれば出来たのにな!と思いながら眺めていました。父もそうですが、私も生家はこのつづら淵のある、若水なのです。

父の代わりに「お水とり」をさせてもらえたらいいな~~!と思ってました。72歳のかた、60歳、48歳、、、、、と順番に行います。

小学生(12歳)の子が終わって、私たち来賓にも、させていただいたのです。

いやあ~~~!嬉しかったですね。まさに父親の代理としてさせていただいたと思ってます。

その後、樽に一杯注がれた霊水を、子供達が一宮神社へと運んで行きます。

昭和51年から復活された、この行事、

この子供達が守っていってくれるのだなあ、と思える、いい行事に参加させていただきました。

その後、自治会館でいただいた「七草かゆ」は格別でした。身体も温まり、心も温まる感じがしました。

PS、私の友人の家は、この近所でいまだに井戸水ですって、

浄水器のセールに来た人が、「大丈夫ですか?水の質を検査してあげよう」とこの地下水を調べてみると、

「すばらしい!びっくりです。六甲の湧き水よりすばらしい」と驚きながら、水を眺めていたそうです。

こんな街のど真ん中に、これほどの泉が存在するとは

まさに、新居浜の財産をまた一つ見つけました。

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12月28日ライブをアップ

今日も、辻立ちできました。朝、予定の場所へ、、、、。

「おお~~!今日は場所をとられてない。」場所が空いていただけで、まあまあの喜びようの私でした。

今日は、50分ほどはできました。自分のしゃべりも、昨日よりは随分ましだと思うのですが、、、、、。

自転車で、通って行く人が、「頑張ってくださいよ!!」と声をかけてくれました。

声をかけていただけただけで、舞い上がるほど嬉しいものです。

今日来てよかったと、それだけで自己満足だったりして、、、、。

しかし、気合入れてしゃべりすぎて(人によっては叫んでいたと言われましたが)喉がすこしやられたみたいです。

いい、ハスキーボイスになりました。

ハスキーボイス???といえば、12月28日のライブの動画が、私のホームページから見れるようになりました。

http://www.shiraishi.gr.jp/

ですんで、よろしく!!2曲しか入ってませんが、10月の立候補を決めた時の心境をつずった歌、「心の歌」を披露しているところが見れますので、

当然、作詞は私、作曲は落合さん、

よろしく、のぞいてみてください。

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2009年1月 5日 (月)

初めての辻立ち

現場に行くと、すでに辻立ちのプロ、共産党のミミさんが演説をしていました。

とぼとぼと、ちかくに陣取り、私も開始!!

しかし、なかなか言葉が出てこなくて苦労しました。辻立ちの難しさと、これから、会得してゆこうとする楽しみができました。

昨日は、川之江、三島、土居で、相手候補と一緒に立礼(これは演説をしているわけではないので)「成人式、おめでとう御座います。」と言う程度。

途中、川之江のフジ前でしばらく立礼をしましたが、まあまあの反応。

やっぱ今日の新居浜の方が手を振ってくれるひとは多かったですね。

明日は、自分の考えなどもしっかり述べながらチャレンジです。

手は凍てつくように冷たくなりますが、身体は演説のせいか暖かいんですねえ、

これからも、空き時間はフルに活用して、辻立ち演説を続けてゆこうと思います。

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2009年1月 3日 (土)

書き初め

今年も2日は書き初めです。恒例のメンバーで毎年、同じ時間(10:00時)集合で始めました。

みんなで、書き始めてからでも15年か16年になると思います。

私が、その年その年のテーマで書くようになってから18年です。1991年、青年会議所の理事長を務めたとしからでした。最初に書いたのが「一意専心」でした。

それから毎年、その年の自分に言い聞かせるように書きました。次の年が「堅忍不抜」だったと思います。

それまではどおだったかと言うと、やっぱり書いてまして、毎年、「努力足跡」を書いてました。小学校5年くらいからかと記憶してます。

そして、昨年は「進取果敢」でした。決して衆議院選挙に出馬するからそう書いたのではなく、自分の人生で、昨年はからは今までの二倍の速度で物事に積極的に取り組もうと思い、その言葉を選びました。

今年は、「堅忍果決」です。みんなで書きました。

立候補した時の、気持ちを忘れることなく、やりぬく決意です。

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2009年1月 1日 (木)

あけましておめでとうございます

明けましておめでとう御座います。今年もよろしくお願いします。

昨年は、私の人生の中でも一番の、大きな節目だったように思えます。私にも衆議院議員という夢はありましたが、

昨年の冒頭に、今後は県議として地にしっかり根を張った活動をしてゆこうと自分に言い聞かせ、決心した年でした。しかし、まさか、あのような状況になろうとは思ってもいませんでした。

私の無謀な決断は、

私の生活を一変させました。

しかし、それは選挙にむけての活動であって、私、本来の政治家としてのスタイルや活動をかえるつもりはありません。

しっかりと、地元に根を張った政治家として活動してゆきたいと思っておりますし、軸足のぶれることの無い政治家として歩んでまいりたいと思っております。

昨年は、書初めに「進取果敢」と書きました。

さて、今年はどう書きましょうかねえ、、、、。

今年は、今まで以上に、めいっぱい頑張って参りますので、よろしくお願いします。

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