おかげさまで
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その施設では初めてのクリスマス会と聞いて、早速、この前の保育園で衣装を借りてきて、またまた、サンタで登場で~~~す。
久しぶりの方と再会しました、その方もそのイベントにボランテアとしてお手伝いに来られていました。
その方は16年の災害で家を失いました。土砂やヘドロで、ぐしゃぐしゃになった自分の家の前で作業をしておられたところで会ったのです。
災害援助法の関係で、その延長等についての相談をいただいたように記憶してます。
お元気で、なによりでした。逆に「頑張ってくださいよ!!」と励まされました。
その老人施設でのイベントには地域住民の方たちも多く参加されていました。
支えあいの気持ちが、そこにいらっしゃる多くのみなさんに笑顔と温もりを与えていただいてるように感じました。
東京から一人でやってきて、もうそこに住んでおられる方が、詩吟と「千の風に乗って」を独唱、
誰も姻戚になる人もいないで、単身、東京からやってきたその方は、みなさんとも溶け込んで、楽しそうにされていました。
都会では、得ることのできないものが、ここにはあったと、
それを、今、得ることができたと言わんばかりの、すばらしい笑顔をいただきました。
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今日は、経済政策と雇用対策について、また、国としてどうなのか、最後に政治改革等についての考え方などを書いてゆきます。
(2)経済政策
アメリカでのサブプライムローン問題に端を発した米国経済の景気減速による世界経済の危機は、日本においても輸出の減速をもたらし、それが内需の柱である個人消費や設備投資の落ち込みに繋がっていると言われています。しかしながら、日本の景気後退は、2006年の定率減税の廃止の影響で、個人消費の冷え込みが始まりではないかと考えられます。
定率減税は、所得税と個人住民税の税額をそれぞれ20%、15%減額するもので、恒久的措置として1999年に導入されましたが、2006、2007年で段階的に廃止されたものです。ちょうど、昨年の参議院選挙の頃でしたので、皆さんの記憶にも新しいことと思います。あの時の参議院選挙の敗北の大きな原因ともなりました。
同様に日銀が量的緩和政策を解除したのも2006年であり、これも、総合的な物価動向に影響する金融引き締めが景気後退の主因と考えなければならないと思います。その結果として財政再建は、さらに遠のく訳です。また、徹底した中小企業支援策、特に資金繰りの悪化を食い止める命綱的な更なる金融支援も必要と考えます。
(3)緊急雇用対策
現在の社会が包含する産業構造上の問題点や、社会問題化している介護従事者の雇用環境、更には、疲弊する農林漁業、医療の現場などの問題を解決しながら、雇用に繋がるような、雇用対策実施してゆかなければなりません。当然、地域として、どうしても必要なインフラに対する公共投資も有用です
(4)国として
経済政策と雇用対策が急務として述べましたが、その他、公務員制度改革、教育改革、地方分権、外向施策など、国として、進めてゆかなければならない課題は山積みです。
政治改革 ~国民から信頼される政治~
これから、取り組んで行かなければならない諸課題に対して大胆かつ迅速に決断し、政策を実現してゆくために、政治の在り方自体を考えなければならないと思います。責任を持つ政治主導の創造的改革を推進するために、責任政党自ら自己改革をしなければならない時がきたと思います。
こんな、感じですか、、。次は具体的マニフェストの内容について記述してゆきます。
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ご意見ありがとう御座いました。南海地震は必須課題だとして、書き込んでいませんでした。さっそく加筆させていただきます。
また、環境関連として代替エネルギーの活用推進も加筆することといたしました。ありがとうございました。
ここら辺で、徐々に内容にふれて行きたいと思います。
「私の原点~使命のゆくえ~」については、以前、エピソード1として、このブログに書き込みましたので割愛っさせていただきます。
国としての責務
(1) 政治主導で難局を乗り切る
私たちの国、日本は、欧米先進国に追いつき追い越すことを目標として明治維新以来およそ100年で、それを達成しました。近代社会の進展とともに、資本主義は発展し社会資本も見違えるほど整備され、人は豊かになりました。しかしながら、その豊かさも格差がが発生し、その差が大きくなるにつれて、豊かさが実感できない国となってしまいました。私たちは真の豊かさを享受していなかったのではないでしょうか。逆に、不平等感が社会をつつんでしまい、さまざまな制度に対する不安感も制度の未整備や、その決定もぶれるため多くの国民に先行き不安を抱かせています。そこに、今回の世界的な不況の連鎖、私は、今回の経済危機で、強いドルの時代が終わりを告げ、通貨が弱くなれば、国力も落ちると言われているとおり、米国型資本主義も終焉を迎えつつあるような気がするのです。しかも、我が国は、防衛も経済も深く米国に依存し、尚且つ巨額の米国債を保有しているのですから、米国の衰退からは逃れられないことでしょう。そのような厳しい状況だからこそ国民から信頼される政治を再構築し、政治主導で我が国の難局を乗り越えて行かなければならないと思うのです。当然、政治改革を強く進めなければいけません。
次の経済対策はまた明日。マニフェストの細目については、少し私の意見を述べてから書き込みさせていただきます。
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マニフェストの項目
「日本の変革」 活力と安心へ、地域からの挑戦!!
[私の原点~使命のゆくえ~]
[国としての責務]
(1)政治主導で難局を乗り切る
(2)経済政策
(3)緊急雇用対策
(4)国として
[政治改革~国民から信頼される政治~]
[緊急かつ迅速に]
(1)減税の実施と0金利政策の始動 (2)日本の経済に活力を生む新たな雇用施策 (3)徹底した中小企業支援策の策定 を構築(1)~(6)
[国としての責務]
(1)公務員制度改革 (2)地域の教育力を取り戻す教育改革 (3)「食」と「農」の再生を図る(1)(2) (3)地域の共助を引き出す「しくみ」づくり(1)~(7)
[地域からつくり変える]
(1)四国州の州都を誘致し、四国全体の連携拠点を築きます(1)~(4) (2)地域連携の拠点としての東予エリア(1)~(3) (3)四国中央、新居浜、西条、の3市連携(1)~(4)
[地域の発想が決めて]
(1)ローカルチャレンジスーパー特区 (2)日本の「公共」を再構築(1)~(2) (3)地域の共助を引き出す
[新たな価値を創造します]
以上、現時点での主な項目です。それぞれ小項目がある場合は(1)~(5)とか、その小項目の項目数みを表示しておきました。
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12月18日3:50、ようやくマニフェストができました。ちょっと書き込み不足の項目もありますが、
私のこれまでの活動にもとずく政治家としての私の考え方、そして私が考える、今後の国、地域の姿、をみなさんにうったえるツールとなることを願い、
もう、社会は、自民党だの、民主党だの、どっちが政権をとるのかなどと言っていられないような、切羽詰った状況です。
志を高く、責任ある、そして決断の政治が望まれているはずです。
なんの議論もなく「賛成」と「反対」のみを声高らかに叫んでいるだけの国会ではなく、お互いの考え方のちがいも認め合い、国民の利益最優先で施策を選択してゆく議論の場を整えなければならないと思います。
現在の国家の課題の「解」を求めるとしたら、外交、防衛、は別としても、それ以外はほとんど、地域に求めることによって「解」は得られるのではないでしょうか!?
国会議員も、地域に軸足をおいてうえで、国会で議論する、
議論のテーマは当然「国家としての課題」であって、
選挙のときのみ地域に軸足があるような政治家は、必要ないと思います。
こんなことを言うつもりではなかったのですが、マニフェストが書けたせいか、何故かテンションの高い私でした。失礼
最後に、マニフェストを作成するにあたって、日ごろから色々と意見交換をさせていただいてる、慶応大学上山先生、経産省のT氏に感謝します。
私の活動の理念に大きく影響を与えてくれた二人であります。
マニフェストの内容については、彼らにまだ見せてはいませんが、見せればきっと、「ここは、こうですよ!」とか「こんな感じのほうがいいんじゃない。」などと言われそうな気がします。
また、見ていただいた多くの方からもご意見をいただければ幸いです。
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なんとなくこみ上げてくるものがありました。
鹿島建設の協力会の新居浜支部長を退任、
私の会社は昭和34年に創立で、当時、鹿島建設の職員だった方が名付け親であります。
その方は、その後「八重洲ブックセンター」の社長になられ、2年前に勇退されました。
これまで、50年にわたって、会社として、お世話になり、私も支部長をさせていただいて13年ほどになるわけで、
「下請け」というきびしさと、「下請け」というありがたさ、その両方を忘れることの無いように、
その役職だけは、あまえて、させていただいておりました。が、もうこれ以上、皆さんに迷惑をかけるわけにもいかず、退任をさせていただきましたが、
なんとなく、胸にこみ上げるものがありました。
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孫とは初めての点灯式、金栄小学校のドリームツリーは新居浜の冬の風物詩となりました。
ドリームツリーの点灯までのカウントダウンもさることながら、その前に行われるブラスバンドや市民演奏による発表会もいいですね、、、。
それと、なんといっても、婦人会のみなさんが提供してくれる、「トン汁」は最高です。
年々、多くの人が集まってこられるようになりました。
「トン汁」の温かさが、そのまま地域の暖かさのように感じます。そんな、多くのみなさんの思いのこもったドリームツリーの光にも、なぜかしら温もりを感じます。
「よっしゃーー!これから片付けじゃ。」と言いながら、手際よく軽トラックを誘導する自治会長の声も、満足感の溢れた、弾んだ掛け声でした。
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サンタさん役を仰せつかって、行ってきました。たぶん、誰も私とは気づかないはず。
「真っ赤なお鼻の、トナカイさんは、、、。」と、みんなと歌って、さあ~~~サンタさんからのプレゼント!!
と、その前に、園児からの質問(写真中段)まずはもう一人のサンタさんに「サンタサさんはいくつ?」もう一人のサンタさん「41歳、独身でえ~~す。」と、けっこう、うけてました。
そして、私には、「サンタさん、クリスマスの日以外は何してるの?」
「僕はね、芋ほりしてるよ、あとねえ、選挙活動もしてるんよ。」
芋ほりは、先日園児の子達もやったところなので、けっこう、うけましたが、選挙活動はつうじてなかったような感じでした(まあ、当然だろけど)。
やっぱり、子供達の笑顔はイイですね、
心が和む半日でした。
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東予地区で「とおる会」を発足できました。新居浜に続いての発足で、私にとっては心強いかぎりであります。
この日の、書き込みは、していたのですが保存をし忘れていたみたいで、今日(14日)加筆することになってしまいました。
「とおる会」はいわゆる、政党色も団体色も、当然、誰かの政治家に属す組織でもない人達の集まりです。
登壇して、みなさんの顔を拝見させていただいても、私が子供のころにお世話になった方や、昔、一緒にボランテア活動をした人、青年会議所の仲間や、いろんな人に来ていただいていて、
懐かしいやら、その時の思い出話をもっと、とか、、、、。思いがあふれんばかりの、演説となりました。
200人あまりの人たちに、満足していただけたかどうか、、、?!
私の思いを語らせていただきました。
次は、西条での「とおる会」です。
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おめでとう御座います!!新居浜工業高校の「VYS部」のみなさ~~~!!
新居浜工業高校「VYS部」が取り組んでいる、「空飛ぶ車いす」の事業が、ボランテア、スピリット、アワードにおいて、「コミュニテイ賞」を受賞しました。
同賞は、米国で95年に創設され、日本国内では、今年で12回目となります。
この事業は、古くなった車いすを修理して、福祉施設などに寄付をすることを99年から始め、現在では韓国やタイにも寄付をしています。
実は、この事業、私も当初より関係しておりまして、友人から依頼されて、海外へ持ってゆく時の、新居浜から岡山空港とか、新居浜から松山空港までの、車いすの運搬は、私のほうで、ボランテアで手伝っていました。
下の写真の上側は、2002年に少年サッカー交流で韓国のパジョ市を訪問した時に、車いすを預かって、私が韓国に持ってきたとき。
下の写真の上側は、2003年日韓共催ワールドカップの前夜祭に宇高太鼓台をソウルへ持ってきたとき、やはり、車いすをことずかって、ソウルで譲渡式を行った時の写真です。
自分とかかわりのある団体が賞を受賞することは、やっぱり、うれしいですよねえ。
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10月5日が私の衆議院選出馬の意志表示の日でした。当日の時間制限もあって、その時間ぎりぎりの提出だったのですが、
その前後の心境を綴った、歌、ができました。
私の作詞に、友人が曲をつけてくれまして、先日できたんです。
題名を「心の歌」としました。
けっこう、ソウルフルな感じでできてます。
忙しいはずやのに、そんな暇あんのか!!と怒られそうですが、
ある日の夜中、机に向かってたら、自然と、詩が書けたんです。
28日にライブがあるので、そこで披露したいと思ってます。
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