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2007年1月29日 (月)

一生懸命の子供たち

もう一つ、イベントを紹介しておきます。昨日、グレース幼稚園の「あったかフェステイバル」もありました。科学博物館の多目的ホールは満席です。

フェステイバルの名前のとおり、外の寒さとは違い、ホットな雰囲気!!

幕が開いて、子供たちの演技が始まると、多くのカメラやビデオが、、、。

そのうち、子供たちの一生懸命に演技に取り組む姿が、一種の緊張感と、あったかな感覚が入り混じった、なんともいえない空間を作ってゆきます。

ほのぼのと見える子供たちの笑顔にも、真剣な顔つきが見え隠れして、

その、子供たちの一生懸命にひきつけられてしまう多くの大人たちの納得してそうな顔、顔、顔、、、。

子供たちの感性が、ぐっと、磨かれてゆくのでしょうね

楽しいひと時をいただきました。

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2007年1月28日 (日)

技術の革新

今年も、四国の強豪が新居浜に集まりました。「第5回新居浜インドアチャンピオンシップ」、日本の中でもトップクラスのソフトテニスプレイヤーの試合が直接、新居浜で見れるのですから、すばらしいイベントだと思います。

明治17年に始まった、ソフトテニスは、近年、ルールの変更とともに、著しく技術的な革新があったと思います。そのトッププレイヤーのプレイを目の当たりにして、まさに感動です。

30年ほど前にテニスをやっていた私にしてみれば、異質のスポーツを面前にしているようにさえ思えるほどです。

ルールの変化とともに革新されてきた技術は、まさに近代社会の変化と類似しているように思えます。

社会の規範や価値観、そして社会のシステムの変化が新たな技術革新を引き起こしているとも言えるのではないでしょうか。

元の話に戻りますが、今日は始球式もさせていただきました。さすがに年に1度、このときだけやるのでは、なかなかボールに当らないですねえ。

レシーブ側の選手から「ウオース!!」という気合の入った掛け声。

思わず私も「ウオース!!」と掛け声はよかったものの、意気込みとは裏腹に、ボールは、ほよほよっと相手コートに、、、。

レシーブ選手の気合の入った空振りで、始球式は無事終了しました。

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2007年1月26日 (金)

災害の記憶

少しずつ、座談会」を初めています。これまでの私の活動を説明するうえでは、16年の豪雨災害の話は抜きにはできないところです。

今期の4年間の半ばで起こったあの災害は、新居浜市民の心に大きな傷を残しました。その記憶を呼び起こすことになるのことが、申し訳ないとも思いながら、

それでも、あの災害の話は、しておかなければならないと思います。

少なくとも、私の政治活動の一つの柱を決定付けてくれました。

誰も、命を失うことの無い、「安心、安全のまちづくり」こそ、今正に、築き上げなければならない。

その思いを、常に強めながら、活動を続けなければ、、、。

「あのときには、ずいぶんお世話になりました。」久しぶりにお会いした人に、親しそうに声をかけてもらいました。

「とんでもない、大変だったですよねえ」そう答えながら、思いました。

感謝の気持ちを、お互いに表せるような、

それが自然にできる、

そんなまちでありますように。

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使命のゆくえ

1996年、「使命のゆくえ」という本を出しました。本というより、提言書といったほうがいいのかもしれません。

1年間かけて、書き綴った「私たちの使命のゆくえ」を自分のそれからの行動基準ととして、これまで10年間活動を続けてこれたと思っています。

ただ、その本を編集した時には、自分の人生の「使命」をつかみたい!と思っていましたが、

自分が人間としてこの世に生まれてきた、その「使命」など、つかめるわけでもなく

自分として、理解できたことは、その時に与えられた役割に、一生懸命打ち込んでゆくことによって、

自分の「使命」が演出されてゆくのかなあ、っと思えるようになったことぐらいのことですかねえ。

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2007年1月25日 (木)

一気に加速

知事選が終わり、いよいよ我々の番だなあって感じですね。

選挙戦も一気に加速してゆくような気がします。

ただ、最近の選挙の流れを観察してみると、どうもこれまでの流れとは違ってきているような気がするのは、私だけでしょうか?!

選挙が戦術的に変わってきているのは当然のことですが、政策の打ち出し方や、候補者の評価の基準も変化しているのではないでしょうか。

候補者の人物的な評価はどうかとか、候補者のこれまでの実績に対する評価、今後の政策に関する評価などのポイントというよりも、

それぞれの候補者に、簡単な、理解しやすい「ラベル」を貼り付けて、その差で判断してしまっているのではないかと思えてなりません。

一昨年の郵政民営化選挙も、民営化に賛成か、否かという「ラベル」を貼り付けて、国民にその是非を問いかけました。

昨年の滋賀県知事選挙も新幹線の新駅建設を「もったいない」と中止するのか、推進するのかという「ラベル」を貼って是非を問いかけました。

先日の宮崎県知事選挙も「しがらみ」を断ち切れるか、どうかで是非を問いかけました。まるで、保守系の落選した他の2候補では「しがらみ」を断ち切れませんよという演出になってます。

マスコミが誘導する「今回は***選挙です!!」という、選挙戦の総称に、どちらの「ラベル」で戦うかが、勝敗の大きな要因であることは間違いないわけです。

逆に言えば、そうおいった演出を仕掛けてゆければ、選挙全体の流れをコントロールできるということなのでしょうか。

しかし、ほんとにこんな選挙でいいのでしょうか??

もっと、選挙民のみなさんに、公平に、多く、各候補の情報を提供できるツールを持てないものですかねえ。

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2007年1月19日 (金)

50年の時を超えて

そのご老人は、八重洲ブックセンターの前で立って待ってくれていました。一見すると誰もが思うといえるほど温厚そうなその方と目があっただけで、お互いに「徳永さんですか?」「白石さんですか?」と声をかけあってました。すごく人ごみの多い、センターの入り口でなんとなく、この人だと思えました。

夕食の予約時間まですこし時間があったので、中二階の喫茶でお茶をしてから出かけることにしました。「今日はありがとう御座います。」と私はご挨拶をしながら、目が涙でうるんでしまいました。この方が、私の会社の名付け親なんだな。ありがたいという気持ちと、久しぶりに父親に会えたような思いとがかさなって、こみ上げてきたのだと思います。

昭和30年から36年までの6年間、鹿島建設の新卒での配属が新居浜だったそうです。私の会社が34年に会社として設立ですので、徳永さんが私の会社の名前のことを親父と話したのは新居浜に赴任されてしばらくしてからのことだったようです。

「君と会ってると、50年前の記憶が、どんどんよみがえってくるよ。」そうおっしゃりながら、当時のはなしをずっと聞かせていただきました。

話を伺いながら、私も50年前の新居浜の町並みや情景がすこしだけうかんできます。初めてお会いした方なのに、気さくに話してくれるし、徳永さんも自分が20代前半のその当時の自分に戻ったように、若々しく話してくれました。

徳永さんは、社会人の最初の6年間を新居浜で過ごし、その後東京の本社に戻り、技術研究所に出た後、八重洲ブックセンターの設立準備から携わっているそうで、ブックセンターの社長も13年間務めたそうでした。ですから鹿島建設の四国支店で探してもらってもなかなかわからなかったはずです。

徳永さんは話せば話すほどに、いろんな記憶がよみがえってくるようで、その当時の同僚や、多くの方の実名がでてきました。

田嶋さん、松島さん、三島さん、水野さん、篠原さん、、、、、、。

徳永翁の記憶力に脱帽です。

あっというまに時間が過ぎてゆき、

最後にまた「よう、会いに来てくれた。ありがとう。私は最高にうれしい!!」と何十年も東京に在住なのに広島弁で、、、。

また、こみ上げてくる涙を抑えながら「私の方こそ、ありがとう御座いました。是非、またお目にかかりたいです。」と言うのが精一杯でした。

この夜の機会を与えてくれた、親父に感謝!徳永さんありがとうございました。そして、鹿島新居浜の真鍋さん、そして、前所長の篠原さん、ありがとう御座いました。

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2007年1月17日 (水)

あるペーパーがきっかけで

暮れに、片付けをしていて、親父のあいさつ文を目にしました。96年に書かれた文章です。

{昭和30年頃は、(中略) 当時、鹿島建設、労務安全担当の徳永さんという方で、(中略)「白石建設工業というのはどうですか」と言われ、白石建設工業という名前が生まれました。}

つまり、私の会社「白石建設工業」のなずけ親、徳永さんのことを書いた文章でした。私も10年ほどまえに親父に連れられ、「ここに、うちの会社の名付け親の人がおるんぞ」とブックセンターまでは行った事はありましたが、お会いしたことはありませんでしたし、ずいぶん前のことですので、その徳永さんが今、どこにいらっしゃるか、当然、わかろうはずもありません。

鹿島建設の方に、年明けてから、早速、調べてもらうことにしました。苗字が徳永さんというだけでは、なかなかわからず、しかも、48年も、もっと前のことですから、現役の社員のかたでは、当時のことを知っている人などいるわけがありません。

しかし、調べてもらっているうちに以前鹿島建設の新居浜営業所の所長をされていた、篠原さんが覚えておられたのです。篠原さんの話をもとにたどってゆくと、徳永さんがいらっしゃいました。八重洲ブックセンターの社長をされた後、まだ、今年の4月までは顧問でいらっしゃるとのことでした。もう嬉しくてたまらないし、お会いしてお礼やら、いろいろ話をさせていただきたく思っていました。

すると、先日逆に、徳永さんの方から鹿島建設さんに、「白石さんはいつごろ来るんだろうか」という電話が入ったのです。早速、私のほうからも電話をさせていただき、実は、明日お会いするのです!!

親父の写真を数枚もって、うかがいます。

48年の歳月を経て、会社の名付け親に、お礼の挨拶ができるのです。

これも、親父の導きなのでしょうか!?

感謝

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2007年1月14日 (日)

社協での講演

今日は社協での講演がありました。40分と短め、尚且つボランテイアマネージメント講座なので、たぶんボランテアの初歩的なものでいいのかな!?っと思いつつ出かけてゆきました。

私の運営しているグッドウィルも今年で10年になります。そおいった意味でも今回の講演で、これまでのグッドウィルの10年の活動を総括しておこうとも思ったのです。

会場は、なんと4人。プラス、グッドウィルのメンバーが4人という、少し寂しいシチュエーションでありました。

こちらも、何も用意なく登壇ですから、(まあ、ボランテイアに関する講演でしたら90分用の講演は頭に入っていますので)

いかに40分で収めるかが、自分にとっての課題でありました。

講演のあいだ喋りながら、なぜ4人しかいないのかなあ???などと考えながら、あっという間に終わってしまいました。

今回の私の収穫は、ボランテイアをしたいと思っている人、もしくは、NPOなどの組織に興味のある人は、まだまだ、たくさんいるな!!その人たちに本格的なボランテイアのマネージメントの研修講座を提供してあげなければ!っと思えたことですかな。

今年の、グッドウィルの10周年は、多くの人々に新居浜では体験できない体験を、そして学習ができる場を提供することを中心に考えてゆこうと思いました。

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2007年1月10日 (水)

成人式に2ショット

7日が新居浜では成人式でした。京都から帰ってきたところへ、娘と家内、桝井さんが帰ってきて、思わず娘とTWOショット!!

よく見ると、やっぱ親子!よく似てません?

娘とのTWOショットは一昨年以来ですから~~~!!

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2007年1月 9日 (火)

初釜

先日(7日)、初釜に行ってまいりました。いつも一人で行くのですが、今回は、島田支部長、畑田顧問と私、3人での京都行きです。ゆく道中、畑田氏より「これ読んだ?」と産経新聞の切り抜きを渡されました。

正論「平和のための一わんのお茶」=千利休への年賀状=(産経新聞1月5日)でした。

「和敬清寂」の精神、で始まる文章に、一気に自分の意識が注ぎ込まれました。

その心は、

人と和し(和)、

人を敬い(敬)、

清らかな心を持ち(清)、

どんな時にもでも動じない(寂)

ということでした。

「喫茶去」のすすめ、で結ばれたこの文章に千 玄室、大宗匠の平和への深い思いを感じました。

私が作っている、芋焼酎「あんぶん」の名のヒントとなった言葉

「安分以養福」

は3年前に、大宗匠の講演の後、大宗匠に教えてもらった言葉です。

私も、深みのある言葉をみんなに送ってあげれるような男になりたいなや!!

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2007年1月 8日 (月)

逆境をプラスにする

何かないか?どんなことでも!何からでも!!

そんな思いで、打開策をみいだそうとあえいでいる業界、会社、個人が多いと思います。

一昨日の鹿島建設四国支店の支店長の新年、年頭の挨拶にも私自身大きな共感を得ました。なおかつ、経営者のわたしにとって非常に示唆にとんだ内容でした。(実は挨拶の原稿をいただく話をさせていただきましたので、今週中にはアップしたいと思います)

「問題点を直視し、斬新な視点でその問題解決を思考して、変化に対応してゆく、、、。」詳しくは後日。

また、昨日の新居浜管工事組合の席での理事長の挨拶も、今の時期の業界の環境を直視しての、身にしみる挨拶でした。

特に建設産業団体では現状の打開策にあえいでいます。

長期的な対応も、即効性のある対応も、何もできずに時代の流れに身をまかせているのが実状ではないでしょうか。

私は、まだいくばかりか力の残っているうちに、業界が主体となった「まちづくり」の実績、つまり民間活力を導入しての、民主導の地域おこしをすすめ、次世代の業界を担う人々の、なんらかの道しるべを残しておきたいと思っています。

それができる最後のチャンスの年が今年なのでしょう。

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2007年1月 6日 (土)

家族

今回の正月は久々に家族全員がそろいました。新規では寛樹の嫁のともちゃん、と孫の慶一が新たに参加。

母の家に行って、孫(私の子供たち)たちと、母でワンショット。(ひい孫も一緒)

結構、楽しそうに話している母を久しぶりに見ました。

仕事一本で来た母ですから、何の趣味もなく、

先日も「まだまだ、楽しまにゃー!」と言うと、「目が悪くて、なにもでけんし」と母から

苦労してきた母ですから、できるかぎり、のんびりと、そして楽しく過ごしてもらいたいのは息子として当然の思いですよね。

ですから、そのときの母の笑顔はとても、自分にとってもありがたい笑顔でありました。

会社もイノシシの年に設立されましたので、今年でちょうど48年であります。

そのうちの、38年間の会社の営みを支えてきた母に感謝!!

まだまだ、これからもっともっと、楽しんでもらいたいものです。

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2007年1月 5日 (金)

年頭のあいさつ

今日(4日)は8:00より安全祈願祭を行い、その後本社にて恒例の新年式でした。

去年は、それぞれの会社の目標をみんなに話しましたが、結局、実行できずじまいで、一年間、仕事の流れに流された感がつよくありました。

それと、私たち建設業の評価が、会社全体の評価として行われてはいますが、個々の工事の評価がそのまま会社の評価として大きく影響が出てくるようになりました。

たとえば、どんなに小さい工事であっても、工事点数は工事点数として扱われるため、工事の大小などを議論することなどなくなってきてると思います。実際には工事点数が低かったために、指名もなかなかもらえない業者もあります。

つまり、個人の評価がイコール会社の評価といっても過言ではない状況です。

そこで、今年は、まず「個を磨き上げる」環境と、プログラムを作ることを発表しました。

また、会社としての中期目標を6月までに、作り上げ、みんなに徹底してゆくことも発表しました。

個を磨くプログラムが今後会社に、いかに定着するかが最大の要点です。

中期目標の策定はまさに個を磨くプログラムになってゆくような、小集団活動を中心にすすめてゆくつもりです。

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2007年1月 4日 (木)

いよいよ、今日から

いよいよ、今日からです。2007年の初日はどのようなスタートになるのでしょうかね?!

2日の書初めは「緊褌一番」を書きました。書初めメンバーはいつもどおり、

みんなで書くようになってもう15年になります。15年前は「一意専心」を書きました。若乃花が横綱に昇進するときに言ったのは、私たちが書いた年か翌年だったと記憶しています。

その年、その年に書初めの言葉にかかわる思い出があります。

今回は1996年に一度書いたこの「緊褌一番」にしました。今年は気を引き締めて、ここ一番頑張らなければ!!っと言う思いで、この言葉に決めたのです。

そういやあ、1996年もあわただしい年になりました。日本青年会議所の副会頭になり、その4月には会社の社長、さらに建設協会の会長も引き受けた年です。

今年も、どんな年になろうとも、「緊褌一番」頑張りとおすつもりです。

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2007年1月 1日 (月)

あけましておめでとう

あけまして、おめでとう御座います。昨年はいかがでした?

「ま、ぼち!」(まあ、ぼちぼち)かなあっと答えてしまう一年でした。

ただ、昨日、先輩と話していて、すっごくいい話を聞けたのです。

「人は誰しも、今のままでいいという考えでは、それまで以上の努力をしなくなる。」ということです。

企業においても、政治においても、今以上の会社、今以上の地域、そして今以上の自分を創造するべく、その目標を設定しなければならないということです。

きわめて、当たり前のことなのですが、私自身、この数年間、今のままをいかに維持するか、ということばかり考えていました。結果として周囲のみんなにも、そのような自分しか発信できていないために、私や会社に対して期待感というものを減少させてしまっていることは、私の責任あります。

元旦の今日、今後10年のビジョンを作成して、4日の新年式には発表できるようにしよう。

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